ぱぐの好きなうた(5) 2002.3.21


   花ざかりに京を見やりてよめる
 見わたせば柳さくらをこきまぜてみやこぞ春の錦なりける
素性法師 古今和歌集巻第一 春歌上
意味はわかると思うので訳は省略。

この歌を選んだわけは、丸谷才一と山崎正和の対談集に『見わたせば柳さくら』(中公文庫、元本は1988年刊行)というのがあり、父の本棚に単行本があったからである。おもしろいタイトルだと心に留めていたが手にとって読んだことはなかったので、和歌からつけられたものだとは知らないでいた。
目次は春・夏・秋・冬となっていて各季節ごとに二編の対談になっている。八回続きの対談であったらしい。いちばんおもしろかったのは冒頭の「あけぼのすぎの歌会始」で、1987=昭和62年の歌会始を陪聴した経験をふまえて歌会始や王朝和歌について語り合っている。お題は「木」、昭和天皇の<わが国のたちなほりし年々にあけぼのすぎの木はのびにけり>から題が取られている。あけぼのすぎはメタセコイアのこと。春のめでたい感じが出ているいい歌だと思う。興味のある方は本をお読みください。

素性(そせい)法師の歌に戻ると、法師であるから山に籠もっている。その山から都を見て詠んだ歌。ふつう「錦」は秋の紅葉の形容に使われる。たとえば菅原道真の<このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに>(小倉百人一首・24)など。それを、柳の緑と桜の紅が交じり合った色合いに染められた都が<春の>錦だというのである。きれいな風景だ。

素性法師は僧正遍昭(へんじょう)の子で、桓武天皇の曾孫に当たる。遍昭の出家前の子で清和天皇に仕えていたが父の意向で出家したと伝えられている。小倉百人一首・21<今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな>は女の立場で「待つ恋」を詠んだもの。坊さんにしては色っぽい歌だが、歌人だったのが坊さんになったと考えればそんなに違和感はないだろう。風雅な歌を多く詠み、遍昭ともども三十六歌仙に選ばれている。
参考文献:『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、1978)
     丸谷才一・山崎正和『見わたせば柳さくら』(中公文庫、1992)
     『わたしの古典 尾崎左永子の古今和歌集 新古今集』
     (集英社文庫、1996)
     『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫、1991)
     『百人一首の手帖』(小学館、1989)

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