マラソン・リーディング2001の感想(1)


<参考>開催記録
標題:「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001〜」
日時:2001年4月28日(土)14:00〜18:00ごろ
場所:築地本願寺内ブディストホール
出演人数:35組

以下は電脳日記の2001年5月4日から17日まで書いたものを転載。
日記の標題は「築地に於ける歌人観察記」
<注>長いです。読むのがたいへんかもしれない。

4月28日、土曜日は築地本願寺内のホールに於ける短歌などの朗読会に出かけるのが主目的だった。題して「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001〜」という。
数年前に一度、誘われて西荻窪の「ハートランド」というカフェ併設の古本屋で自作短歌を朗読したことがある。さらに昨年7月に上野の国立西洋美術館で開かれた「西美をうたう―短歌と美術が出会うとき―」の関連イベントで、歌人たちのパフォーマンスを見学する機会があった。

今回の出演者で直接逢ったことがあるのはAsahi-netのパソコン通信の会議室で知り合いになった岡田幸生氏のみ、あとは穂村弘さんのごーふる・たうんBBSで文字だけのやりとりをしたひとが数人。イベント直前の正岡豊さんのチャットで言葉を交わした方もいた。観客はやはりAsahi-netで知り合いになった菊池典子さんが唯一逢ったことのあるひとだった。ひとからは話しかけやすいと言われるけれど、大勢の人がいるところは久しぶりだし、最近オフ会もなかったので菊池さん(以下、ハンドルネームのまおさんで通す)が誘導灯みたいなものである。忙しいと聞いていたが早く来てくれることを祈っていた。

出光美術館はわりと早く出ることになり、そのまま築地に向かった。築地本願寺に入るのは初めて。お賽銭をあげて出演者のみなさんのために成功をお願いする。

会場のブティスト・ホールに着くと、中からリハーサルの声が聞こえる。わたしは受付順が二番だった。Asahi-netの二人以外はわたしの「ぱぐ」というハンドルネームしか知らない。本名のあとに(ぱぐ)と書こうかと思ったが受付のひとが不審に思うことを考えてやめる。
ロビー角のソファに座って開場まで待つ。そのうちに日経新聞を手にした鋭い感じのおんなのひとがやはりソファに座った。見たことがあるような気がするが向こうは知らないかも。どんなひとかわからないので黙礼のみ。あともうひとり女性が座ったような気がする。

一時半に開場。舞台上では準備のひとたちが走り回っている。思ったより立派なホール。芝居とかに使えそうだ。スタッフを兼ねた出演者はあっちこっちで忙しそう。岡田氏(以下、ハンドルネームの巻耳=おなもみ、さんで通す)に声をかける。
「早く来たんだね」
「そう、早く着いちゃって外で待ってました」
あとは大学の二年下であることが判明した錦見映理子さん、服装で予告してくれた野原亜莉子さんが目についた。巻耳さん、錦見さん、野原さんは続けて朗読することになっている。ごーふるのひとたちがたくさん来ているはずなのできょろきょろしたが、よくわからない。ごーふるだけのオフ会なら誰彼かまわず「ぱぐなんですけど、どなたですか?」と聞けるが今日はいろんなひとが来ているだろうから。

二時になり、司会の田中槐(えんじゅ)さんが出てきた。金髪に染めている。この方の顔は小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)の写真で知っていた。正岡さんのチャットでも話したし。一人五分の持ち時間で終わるのは四時間後の六時。けっこうきついかも、とちょっと不安。
そうそう、わたしが座ったのは真ん中のやや左寄り後方。合間にふり向くと斜め後ろにまおさんがいたのでお互いにびっくりする。『角川日本史辞典』の新版を返してくれた。調べものに欠かせないので前日電話で頼んだのだ。

現代短歌に詳しくないので三十五人の出演者全員を知っているわけではないし、時間の経過とともに記憶がやや薄れてきた。以下の感想は記憶に残ったところだけ、まおさんの日記を参考にしながら書く。
朗読なので耳で楽しみたい。そう思ってだいたい目をつぶって聴いていた。出てくるときには見たけれど、躍りや着るものなどに凝ったひとには気の毒な観客だったかもしれない。

トップバッターは藤原龍一郎さん。この方は西美のイベントにも出ていたがあんまり記憶に残っていなかった。ごーふるでも話題になっていた短歌と詩のコラボレーション(合作)。録音した(?)女性と男性の声が流れ、それにかぶせるように藤原さんが読んでゆく。「情事」という題名なのだそうだが物語の盛り上げ方が上手だと思った。藤原さんの声は落ち着いていて朗読向き。最初の出演者としてふさわしい。

正岡豊さんはチャットのときおもしろかったので、どんなひとだろうといろいろ想像していた。思ったより大男。トレンチコートを着て出てきた。なにするんだろうと思っているうちに安室奈美恵の歌が流れ、それに合わせてヒップホップふう(?)の躍りが披露される。躍りながら歌を読む。息が切れそうだな、それにしてもおもしろい。会場の雰囲気がなごみ、あちこちで笑い声が起こる。失礼ながらあまりうまい躍りではない。どうも彼のイメージではないらしい。

そのあとに出てきた伊津野重美さんは、打って変わって沈痛な雰囲気。場の空気がさっと変わった。密教で使う鉦みたいなものを手に持って鳴らしながら読む。一節にお経もあったらしいからお遍路さんとかをイメージしていたのか。

薄暗い照明の中、黒いマント(?)で現れたのは山田消児さん。このひとは後ろを向いて自分を隠すように朗読する。おもしろい試みだが観客の反応がわかりにくくないだろうか。見えない方が度胸が出るのかも知れないけど。最後のお辞儀も顔を隠したままであった。

一回目の休憩が入る。まおさんは知り合いが多いから、いろんなひとを激励したり話したりしている。わたしは野原亜莉子さんに声をかける。終わったあと見せる約束をしたものがあるので、持ってきたことを言う。佐藤りえさん、ありすさん、まおさんと楽屋に行く。えんじゅさんにごあいさつすると歓迎してくれて、わたしのために用意したという歌集『ギャザー』(短歌研究社)をくださった。これからの出番のひとたちは緊張している。休憩あけ直後の巻耳さんは外の廊下でぶつぶつ練習していた。

まおさんといっしょに(というかくっついて)左前の席に移動。

巻耳さんの出番だ。西荻の朗読会というのは、このひととまおさんがいっしょだったから、読むのを見たことはある。ただ「ハートランド」はカフェだからこういう立派な舞台ではない。ほかでやったことがあるかどうか知らないが、かなり緊張していたみたい。静かな声で淡々と読む。文字でも知っている歌ばかりだが、耳で聴いても心地よかった。

錦見映理子さんは、準備の時からかなりテンションが上がっているようだったが度胸はいい方なのだろう、観客に負けていなかった。歌の方はサイトで読ませてもらったのがあったと思うが、初めて聴くのでもわかる歌だった。終電の歌が印象に残った。

野原亜莉子さんを紹介するえんじゅさんが、
「へんなのが出てきます」
と言ったのでちょっと笑い声。なんだか保護者みたいな言い方だ。パイプ椅子がふたつ運ばれてきて、そこにレースの白い布がかけられる。観客がざわざわする中、ありすさんが人形を片手、もう片手にアリスの原書らしき本をにあらわれた。原書仕立てで歌集を作ったのかそれとも原稿をはさんだのか。
こういうのははじめてでどうしようと言っていたが、なりきっているせいなのか、視線を動かさず堂々としている。服装は『不思議の国のアリス』の主人公そのまま。水色のワンピースの上に白のエプロンドレス。人形みたいだ。ごーふるでの知り合いだが読まれた歌は初めて聴く。耳で聴いてわかるのが多かった。よかった。成功だ。

ありすさんの次は、剣道の稽古着みたいなのを着た村田馨さんが出てきた。順番をどうやって決めたのか知らないが、こういうギャップは印象に残る。言ってみれば傾向の違うCMをパッパッと見せられているような。このひとはほんとうになにか武道をやっていたのではないか。腰の決まり方があまりにさまになっていたから。よく通るいい声だったという印象が残っている。

佐藤りえさんは明るい夏の日差しみたい。スタッフとしても走り回っていたみたいで事務的な能力がありそうだと思った。夏休みの日記というスタイルは教員になろうと一時期考え、母校がいつまでも恋しいわたしにはなつかしい。芝居をやっていたのか、見せるのが上手だと思った。

玲はる名さんの名前はあちこちの掲示板・日記で目にしていたし、「レイハル。」ではじまる書き込みスタイルがおもしろかったので、どんなひとだろうといろいろ想像していた。失礼だが思ったよりかわいいお嬢さんでうれしい予想外。こういうひとならみんなに愛されるだろうな、という気がした。
黒いスリップドレスに裸足なのだがいやらしい感じがしない。小学校の昼休みの放送というスタイル。高校の卒業文集にDJスタイルで書いた同級生を思いだした。推薦図書が三冊ほど読み上げられ、最後に自身の『たった今覚えたものを』が来る。お約束みたいだがその世界に引き込むうまい手だ。左手、ちょうど私たちの席の前あたりに錦見映理子さん、佐藤りえさん、野原亜莉子さんの三人が立ち、輪唱する。ちょっとタイミングが合ってなかったのはご愛敬。玲はる名さんは舞台前方であぐらをかき、だんだん後ろにのけぞってゆく。こういうのもやるひとによってはいやらしくなるだろう。短歌を読み、最後に校内放送が終了。これでまた引き戻されるわけだ。よく考えられたうまいやり方。このひとも芝居の経験がありそう。
(ちょうどこれを書いている5月6日、歌集の批評会があるという。記して祝いたい)

夛田真一さんは書き込みを読むときまじめそうな感じだったが、サングラスが意外に似合う。Asahi-netのBさんを思い出した。学校の先生だというがおおぜいの前に立つのはさすがに慣れているみたい。イナリマンとかいなり寿司とかふしぎなことばが飛び出した。

田中槐さんの番だ。いただいた歌集の中から読むのかな。「司会もするけど、朗読もします」観客がなごむ。たぶん自分を落ち着かせる効果もあったのだろう。読まれたのは連作らしく父と母のことがテーマ。恋人ができたと娘に告げる父、すがりつく母、どうしたらいいのかわからず無言で叫ぶしかない娘。内容が内容なだけに途中でえんじゅさん自身の感情が入り込んでしまったのが惜しい。こういうのは淡々と読んでこそ内容が際だつと思う。むずかしいけれど。しかし家族の痛い話は他人ごととは思えず、聴いていてつらかった。まおさんも隣で強く反応していたらしい。

次の月岡道晴さんのも聴いていてつらい感じのするものだった。朗詠というスタイルは悪くないけど、自分の感情にこだわりすぎじゃないかなぁ。内容がこちらに伝わってこなかった。文字だけのテキストを読者に見てもらうのとは違う場なのだから、観客にどう伝えるかを考えないと。えんじゅさんのあとでもあるし、重い感情が残った。

黒瀬珂瀾さんは黒ずくめのひらひらした巻きスカートみたいなものを着て出てきた。化粧している。中性的な効果を出そうとしているらしい。数年前のゴールデンウィークに亡くなったロック歌手、hideの死がショックだったということばが耳に残っている。あと「僕は世界がこわい」というのも。尾崎豊とかhideだとかああいう痛い系(?)の歌に惹かれるタイプなのかな。しかし、ちゃんと計算して声を出しているという感じだった。バンドをやっていたというからその経験が生きているのだろうか。

奥村晃作さんは西洋美術館のイベントにも出ていた。あのときも場の雰囲気をなごませる力を持っているなと思ったが、今回も用意してきたのは動物をテーマにした十首。観客がほっとするのがわかる。誰でもが身近にしたことのあるものだと入りやすい。解説(?)もていねいで、いい先生の授業を聴いているようだった。

辰巳泰子さんは『仙川心中』という歌集の名前だけ知っていた。仙川は個人的に縁のあるところなのでなぜそんな名前が?という疑問がずっと離れない。とは言っても歌集を読んでみるところまではいかなかったが。孤独な硬い表情で舞台に現れた。なるほどこういうひとなのか。歌人のタイプとしてはありそうではある。読み方はひとに聴かせるというよりひとりごとみたいな感じだったと記憶しているが、妙に観客を惹きつけて離さない。存在感というものだろうか。

加藤治郎さんの顔も『短歌パラダイス』で知っていた。「鳴尾日記」も読ませてもらっている(考えてみたら短歌雑誌とかをほとんど読まないので、たいていのひとはネット上での姿しか知らない)。ちょっと遊びに来ましたといった感じの軽装で舞台に立つにも身構えたところがない。マイクに向かってときどきくるっと姿勢を変えながら、それでも躍りとかの身振りはなしで、ちょっとHな歌を読んだ。中年男の不安感が出ていたような気がする。
「鳴尾日記」のURLは次の通り(リンクがうまくいかなかった)
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/jiro/

石井辰彦さんは立ち姿がかっこよかった。緑色のメッシュ(?)にしている髪に不自然な感じがしない。内容は申し訳ない、覚えていない。

岡井隆さんは「NHK歌壇」で見たことがある。後ろ髪を束ねているのが目についてなかなかのしゃれ者だと思った。斎藤茂吉の葬儀がここ築地本願寺で行われたこと、そのとき詩人の木下杢太郎こと太田正雄が来ていたことを語った。茂吉は精神科の医者で、太田正雄は東京大学の皮膚科の医者である。岡井さんも慶應大学の医学部を出ているようだからたぶん医者なのだろう。医者にして文人というのは森鴎外をはじめ、上田三四二(歌人)とか幾人もいる。ただ若い観客にはそういう感慨みたいなものは伝わったかどうか。わたしはたまたま岩波書店の編集者でのちに会長になった小林勇の著書を愛読していたことがあるので多少事情がわかるけれど。
*以下、訂正
 岡井隆さんのところで、斎藤茂吉の葬儀に木下杢太郎が出席したと書いたが、間違いだった。調べてみたら茂吉は昭和28(1953)年没、杢太郎はそれより早く昭和20(1945)年に亡くなっている。記憶で書いたので確かめようがないが、茂吉と杢太郎の話が出たのと、築地に縁のある葬儀の話は聴いたと思う。
 失礼しました。

考えてみるとわたしはへんな観客で、現代短歌の最先端にについてはよく知らないし、出演者たちの歌や詩もほとんど読んだことがない。つまり文字で知らないものをはじめて聴くことが多かったわけである。ほかの観客はあらかじめ文字で読んでいるひとが多かったのかな?そうすると、(ああ、あの歌だ)とか(ほー、あれをこんな風に朗読するの)とかいう感想になるのだろうか。出演者の意識にそういうことはどのくらい昇っていたのだろうか。
できたら読むのも聴くのもはじめてという観客のことも意識してくれると、単なる内輪向けでない開かれたいい会になると思うのだが。来年以降も開催したいという話が主催者の方から出ていたので、一観客からの注文として受け止めてもらえるとありがたい。

えんじゅさんと男性(名前忘れた、石井さんかな)と岡井さんが終了の挨拶をした。詩歌の朗読会はあちこちで行われているらしいがいろんな試みがあっていいと思う。ただ休憩が二回入ったにしても四時間はけっこうきつかった。途中で出入りできるような雰囲気でやれたら観客はリラックスできるし、出演者ももっと気軽に舞台に立てるのではないか。クラシックの音楽会みたいに息を詰めているのはかなり苦しい。咳をするのもはばかられるしね。
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