松阪・斎宮紀行(2000.6.2〜4)


4.<松阪商人の館>

この旅行まで、私は「まつざか」「さいぐう」だと思っていたのだが、現地では「まつさか」「さいくう」と呼ぶ。

松阪駅の前には、本居宣長にちなんだ駅鈴の置物があった。写真の第一号を撮る。
松阪駅前の駅鈴(本居宣長にちなむ)












駅前の右手に「松阪市観光情報センター」がある。自転車を貸してくれるとガイドブックに出ていたので、入る。思ったより小さくて、年輩と若いひととのふたりの女性が詰めていた。
先に一日分の料金を払う。返却時間が早ければ返金してくれるしくみ。市内のガイドブックも借りる。こちらは名前を書いておくだけで無料。

住所とか名前を書くのだが私が千葉県と書いたので、むこうのひとがおどろいた。今朝の4時に家を出てきたと言ったらもっと驚いていた。私だってそんな時間に家を出るのは、こどものときに父の実家(信州)に行ったとき以来。
寝不足ですこしつかれている。松阪を見るのに取った時間は、午後に斎宮に行く前の3時間弱だけ。まあ行けるところだけ行くことにしよう。


丸谷才一が松阪についてこんなことを書いている。
伊勢松阪の小津家は二人のすぐれた文学研究者を世に送つた。一人は現代の小津次郎で、彼の専門は『ハムレット』『ヴェニスの商人』『リチャード三世』その他である。もう一人は江戸後期の小津弥四郎で、その専門は『古事記』と『源氏物語』である。念のために言ひ添へて置けば、弥四郎は後年、本居宣長と名を改めた。(後略)
「あの禿頭の劇作家」『山といへば川』(中公文庫)
                  
標題といい書き出しといい、さすが。小津次郎は名前だけ知っていて本は読んだことがないが、同じ丸谷才一の追悼文から察するに岩波セミナーブックス『シェイクスピア伝説』(岩波書店、1988)というのがおもしろいらしい。

…なぜ長々とこんなことを書いたかというと、「松阪商人の館」というのは小津という家の屋敷だったところだから。きっと関係あるのだろうと思って興味津々だった。

松阪出身の商人としては三井家が有名だが、小津という家も負けないくらいの規模だったらしい。座敷が合計3つあるのにまずおどろいたが、敷地は340坪。しかも蔵が今ある2つ以外にもっと大きなものがあったというからびっくり。
今は観光用に公開されているだけで使われていないから、ぬけがらみたいになっているが、往事は大勢のひとが出入りして相当にぎやかであったことが想像できる。
入口のそばに「万両箱」というのがあった。ふつう時代劇で出てくるのは「千両箱」だが、一桁違う。ここの目玉だそうだ。万両って今のお金だと何億円とかになるのでは?地下に埋めて使われたという。

受付のおばさんはとても親切で、私がはじめて来たというと、市内のどこが観光の目玉だか、地図を示しながら教えてくれた。平日でお客がいなかったというのもあるのだろうけど。
そこに、地元のおじさんがお客として入って来て、おばさんと話をはじめた。
・最近松阪の市内では買い物をしなくなってしまった
 (ぱぐ注:車で郊外に行ってまとめ買い?)
・市内は車だと通りにくい
 (ぱぐ注:昔のままの町並みだからだろう)
・市内のお店は夜8時ごろで閉まる
・宣長さんの学問はむつかしくてよくわからない

小津家の系図が掲げられていたので、次郎というひとがどこに入るのか探したが、見あたらなかった。もしかしたらたくさんの分家があるのかな。当主は代々「清左衛門長○」と名乗ったらしい。もとは武士で、源義光(このひとについては手元の資料では不明、情報求む)を先祖に、16代目まで書かれていた。
江戸時代は松阪特産の木綿を江戸に卸す問屋だったそうだが、今は紙と不動産を扱っているという。
会社のサイトがあるので興味のある方はどうぞ。「小津330年のあゆみ」というのがすごい。
(2000.6.24記)

追記:
*地元では、松阪は「まっつぁか」と読むそうです。
*元読売ジャイアンツ、現・野球評論家の江川卓投手がドラフトで阪神に指名されながら、小林繁投手との電撃トレードでジャイアンツに入団したいわゆる「江川事件」(1978年)のときの阪神の球団社長が小津さんという方だったそうです。
以上は、伊勢市在住のめだかさんから教えていただきました。ありがとうございます。 2000.7.11
                        
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