松阪・斎宮紀行(2000.6.2〜4)
ようやく出発のところまで来た(笑)。 第1日目は午前中に現地に着くことにしたので、朝の4時台にうちを出なければならない。こどものころから寝起きの悪さに定評があるので、その前に起きる自信がなかった。それに荷物の最終準備もあったので、昼間すこし寝て夜はそのまま起きていた。 幸い、この時期だと4時台でも明るくなっている。キャスター付きのかばんがガラガラいうのが気になって、持ち上げながら駅まで行った。 こういう時間に乗るひとはどういうひとたちだろうと思っていたが、ネクタイを締めた会社員ふうあり、前日から乗り過ごして(?)シートに横になっているひとあり、それに屋外で働くらしいひとなどが乗っていた。 東京駅に着く。東海道新幹線は6:00発が最初。わりとすいているのだろうと思っていたが、改札口の前で待っているひとは5、60人ぐらいだったろうか。 金曜だから出張ふうが多い。私のような遊びに行く感じのひとはあまり見かけなかった。 新幹線で寝過ごすとたいへんなことになるので、ガイドブックなどを眺めていたような気がする。そういえば富士山は見逃してしまった。 名古屋着は8時台。近鉄への乗り換えは「標準で15分、南通路を使うと便利」と『ひとり歩きの〜』に書いてあったので、それに従う。知らなければ迷子になりそう。 ところがここで<本日の失敗その1>をやらかしてしまった。せっかく「遊レールパス」を持っているのに、近鉄の窓口で「松阪までの特急券ください」 と言ったら、乗車券も一緒に売ってくれたのだった。すぐそばの改札口で切符を見せると、 「あれ、特急券だけでいいんですけど」 と指摘されてはじめて気がついた。恥ずかしいが窓口で乗車券を払い戻す。 特急券は全席指定なので、ホームで待った。近鉄は「近畿日本鉄道」というだけあって、名古屋、大阪、京都、奈良、それに今回のように三重まで範囲が広い。10数年前の高校の修学旅行のときは、名古屋から奈良へ行った。 なにか故障があったらしく、ひとつ前の電車がすこし遅れていた。私の近くにいた年輩の女性が心配そうにしていたが、それほど待たずに特急に乗ることができた。 これも寝過ごすとたいへんなので、持ってきた丸谷才一の小説集『年の残り』(文春文庫)を読む。 エッセイが好きだし、小説がなかなか手に入らないこともあって、このひとのものはエッセイや文芸評論を先に読んでいたが、なるほど文章の「芸」に凝るだけあって、この小説集に収められた4編の構造もくっきりしている。もちろん最初は構造なんか考えずに、ただおもしろく読んだのだけど。 表題作は1968年の第59回芥川賞受賞作だが、私は「川のない街で」というのがおもしろいと思った。 学生の時、国語の教員免状の実習で、志賀直哉の『城の崎にて』をやった。 メリハリのない文章のどこがおもしろいのかわからなくて気分が乗らず、生徒とのやりとりはおもしろかったが、授業のできはさんざんだった。そのころは国語の先生になることを考えていたのだが、それも原因の一つで挫折し今に至っている。 最近、新しい全集が刊行中(岩波書店)だが、ああいう文章を書くひとが「小説の神様」と言われたのは、なんだか腑に落ちない。 ちなみに志賀は一時期、我孫子の住人だったことがある。 実習生はいつもの先生と違って気分転換になるし、歳が近くて親近感のある観察対象である。 私はある日、赤いポロシャツに緑のスカートというへんな格好で行って、「すいか先生」というあだ名を頂戴した。 10時ごろ、松阪に到着。
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