福岡・大分紀行(1999.2.5〜2.8)

(1)【太宰府・博多編】 2/5(金)曇り

寝起きが悪い私が、予定通りの時間にぴたりと起きるというのは奇跡に近い。この日はまさに奇跡であった。いつもならトトロに急かされる支度も万全。
千葉県我孫子市のわが家から羽田空港までは2時間近くかかる。久しぶりにラッシュの電車に乗ったが、7時台前半のせいか思ったほどではなかった。
「ビッグバード」という愛称になってからこの空港に来るのは初めてだ。もう5年くらい経っているような気がするが…「高くてまずい」(トトロ)飲食店のうち、一番安そうなところできつねうどん(私)とてんぷらうどん(トトロ)で腹ごしらえ。トトロはパンも買う。

席を決めておかなかったので、トトロとは別々になった。私の隣の空席は、熱を出して2日前にくやしそうな声でキャンセルを申し出た友だちの分なのだろう。右側の窓際の席は飛行機に乗り慣れていそうな若い女性客。私は自宅から持ってきた新聞2紙(一般紙とスポーツ紙)をがさがさ広げて読んでいたので、隣の客は不思議に思ったかもしれない。彼女は備え付けの機内誌をぱらぱら見ていたから。

11時20分くらいに福岡空港に着く。私だけ手荷物を預けたので、ひまわりさんらしきひとが外にいるのがわかったが、しばし待つ。トトロは私の分のパンも機内で食べてしまったという。そのあとは寝ていたそうだ。待つのがきらいなトトロは、
「きみのせいで時間がかかる」
と文句を言った。荷物が出てきた。待ちかまえていたひまわりさんと合流。2ヶ月前にも逢ったが、この屈託ない笑顔がいい。人見知りのトトロも、初めて逢った某会議室のオフの帰り際、
「トトロさんに逢いたかったんですぅ」
と笑顔で握手を求められて困ったような嬉しいような顔をしたのだった。まおさんとふたりで目撃したあの場面は忘れないだろう。

ひまわりさんの愛車、白い「弾丸」アルトに乗り込む。あとでトトロがいうには、
「けっこう乱暴な運転だった」
そうな。なに、私は交差点で信号待ちしてるのに前に出ていこうとする、とんでもない車に乗ったことがあるから、驚かないよ。迷わずに突き進むのは性格そのものかな。
「僕の運転が安全だということがわかっただろう」
はいはい、そういうことにしておきましょう。

前々日から福岡は珍しい大雪で、私もニュースで見て心配していたのだが、道路の雪は溶けていた。これから行く太宰府に詳しいひまわりさんの友だちが来られなくなったのは残念。水道管の凍結のトラブルに対処するため、仕事を休めなかったのである。
太宰府に着く。まずは天満宮へ。寒いところと人混みがきらいなトトロに合わせる形で、我孫子に来てから初詣というものに行かなくなった。初詣でなくていいから成田不動尊には一度くらい行ってみたいのだけど。今年の初詣が太宰府天満宮というのは不思議な気がする。
お参りする。トトロったらお賽銭を入れただけで突っ立っている。そういえば、結婚する前の正月明けに私の勤め先から電車で数駅の水天宮(日本橋人形町)に行ったときもそうだった。神とか仏とか全然信じていないらしい。

前日、ふとんに入ってから思い出してかばんに入れた朱印帳を取り出し、書いてもらえるところを探す。朱印帳というのは、お寺や神社にお参りした印に書いてもらうじゃばら式のノートである。誰に教わったか忘れたが、かなり前から国内旅行の時は持ち歩いている。
この日、頼んだのは若い神官だった。烏帽子と狩衣姿。ゆっくりと確かめながら書く。隣にいたやはり若い神官も加わってしばしおしゃべり。
「どこから来られたんですか?」
「千葉です」
「千葉というと東京に近いですね」

わが家の沿線の常磐線にも詳しいので驚いていると、書いているひとは京都の北野天満宮、となりのひとは東京の湯島天満宮の出身だという。京都の彼は國學院大学に行ったのだそうで、「あっという間の4年間でした」。藤で有名な亀戸天満宮の話などもする。私が
「正月に湯島天神に行ったことがありますが、警備の警官が交通整理をする くらいたくさん来てましたよ」
と言うと、向こうが驚いていた。お祭りの屋台みたいなのに乗って交通整理するのである。もっともだいぶ前の話だから、今でもそうなのかどうかは定かではない。

次の行き先やら、モツ鍋&博多ラーメンを食べる予定などいろいろ聞かれているうちに朱印ができあがった。一字一字丁寧な、文字通りの楷書。昨年2月に行った北野天満宮の朱印がそのひとつ前にあることを言うと、湯島天満宮の彼が、
「どれどれ」
と取り上げ、
「なんだ、(ページを)一枚空けてるじゃないか。ここにもなんか書かなきゃ。こっちの方(北野天満宮の朱印)が字がきれいだな」
とからかった。なにか反論していたが忘れた。この会話のあいだじゅう、ひまわりさんはくすくす笑い、トトロもにやにやしていた。そうそう、彼らの席の間に火鉢があったのだが、
「それでお餅を焼くんですか?」
とひまわりさんが質問したら笑顔で違うと言われたこともつけ加えておこう。

3日の節分にちなんで節分祭りの最中。御神酒と甘酒のお振る舞いがあったので、遠慮なくいただく。トトロは日ごろ「甘酒は好きじゃない」と言っているが、これはおいしかったそうである。私たちはいただかなかったが、するめが三方に積んであった。あれはおつまみなんだろうか。
境内に「太宰府天満宮幼稚園」があり、園児たちが体操をしていた。なんと、「だざいふえん」なる遊園地もあるのである。神社の多角経営なのかしらん。敷地は十万坪もあるそうだから、いろいろできるのだろうけど。
宝物館には私の興味を引くものはあまりなかったが、毎月お題を決めて歌を献詠しているのだそうで、平成十年分の冊子をひまわりさんと見つけて買った。

太宰府天満宮では、明治維新まで続いた連歌祈祷がとりやめになったのち、官公様がお好きだった和歌を毎年ご神|前に捧げております。したがってこの献詠集には百年を越す歴史があるのです。皆様方も四季折々の歌を天神様のご神前にお捧げになりませんか。(後略)

と裏表紙にある。献詠者は名前と住所も載るのだが、歌の感じや名前からすると年輩者が多いらしい。ちなみにこの2月の月次兼題は「豆撒き」だそうである。

続いて行った九州歴史博物館では、太宰府政庁の10分の1の模型が置いてあった。
天満宮に戻り、参道の茶店に入って梅が枝餅を食べる。十年ほど前になるだろうか、ここに来た高校時代の友だちから聞いて食べたい食べたいと念じ続けていた餅なのだ。梅の焼き印が入った丸餅の中に粒あんが入っているだけで、どうってことない味なのだが。
ちらほら咲いている梅の花をデジカメに収めた。好きな紅梅が咲いていて嬉しい。

大伴旅人(おおとものたびと、家持の父)の歌碑があると聞いて、急きょ行き先に加えた観世音寺(かんぜおんじ)に行く。隣りに天平のころ、三戒壇(僧に正規の資格を与える国家設置の施設)の建物があったが出入りできず。手入れもしていないらしい。奈良の東大寺、下野(しもつけ、現・栃木県)の薬師寺と並んで当時はすごい権威があったはずなのだが。
観世音寺も歴史が古いわりに、お手入れはあまりよくない感じ。もっとも京都や奈良の観光寺社を見慣れているせいかもしれない。日本で一番ふるい鐘があった。天平期のものである。
旅人の歌碑はわからず(帰ってきて確かめたら太宰府政庁あとのところにあるのだそうだ。旅人はここの役人だった)。達筆で読めない句碑、歌碑のたぐいをとりあえずデジカメに収める。「○○○れば」と読める句碑があって、トトロが、
「がんばれば」
だというので大笑い。大分でひなつさんにも聞かせて笑いを取った。

太宰府市役所に寄る。ひまわりさんがいろいろ観光パンフレットをもらってきてくれた。ここの前庭には山上憶良の歌碑があり、紅梅が咲いていた。
夜の予定は食べるだけなので、すこし時間がある。桂川(けいせん)町の「王塚装飾古墳館」に寄る。装飾古墳というのは高松塚古墳のように、古墳の内部に装飾があるもののことだ。高松塚はひとの絵だが、王塚のは幾何学的?というか文字通りの装飾。何色も使っていてきれい。千葉の佐倉にある国立歴史民俗博物館で、古墳の企画展示を見たことがあるが、たしかここのもあったような気がする。4月には内部の一般公開もするらしい。時間があれば行ってみたらどうかとひまわりさんに勧めた。

「福岡」と「博多」は地元ではほとんど同じ意味らしい。市の名前は福岡だが、新幹線の駅の名前は博多である。歴史としては「博多」の方が古く、貿易で栄えた。「福岡」はのちに黒田藩主になる黒田氏がこの地に来る前に住んでいた播州(現・兵庫県あたり)の地名を取って名付けたのだという。「博多」が町人の町だったのに対して、武士の町という性格があったわけだ。もっとも今は気質にどれほど違いがあるのだろうか。「タモリは福岡、武田鉄矢は博多」というジャンル分けがあると少し前にどこかで聞いたけど。

モツ鍋は、飾りっ気のないアルミの大鍋にニンニク、モツ、キャベツに山のようなニラが積まれている。汁はだしに味噌を足してあるのだろうというのがわれわれの意見だった。これをガスボンベに乗せてどんどん煮るのである。ときどきおたまにフォークの一部分がくっついているようなものでかき混ぜる。ニラは火が通りやすいからけっこうすぐ煮える。そうそう、どういうわけか、「ふつうは一人で2人前食べますから」というので、われわれ3人は6人前を頼んだ。かなり食べでがあった。ニンニク入りだから?体が温まる。
終わったあとはちゃんぽんを入れて食べた。この麺はうどんでも中華そばでもなく、ちゃんぽんというのが面白かった。

そうとう食べたのに、せっかくだからというので歩いてひまわりさんおすすめの屋台に向かう。隣の屋台はがら空きなのに、お目当てのところは混んでいる。私と二人だったら断固待つことを拒否するトトロが、なにも言わずに立って待っていたのが面白い。
20分くらい待ったか、3人でぎゅうぎゅうの席に座る。トトロは場所をとるから苦しそう。私もラーメンを食べるときにどんぶりを持ち上げられなかった。隣りに地元のおじさん4人組がいて、トトロの隣りにいたひとりが、
「にいちゃん、ダイエットせなあかんよ」
とトトロのおなかを見て言う。トトロは
「はあ」
とか適当に答える。おじさんたちは焼き物(鳥、魚など)も食べていたようだが、われわれはラーメンだけでせいいっぱい。紅しょうが、ごま、おろしにんにくは自分で好きなだけ入れるようになっている。味?うーん、おなかいっぱいで残念ながらあんまり覚えてない。すごく驚くとかいうことはなかった。                           

(この項終わり)


(2)【吉野ヶ里遺跡・柳川編 2/6】
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