古今会企画第一弾(2001.5.3)


 「古今会」でなにか企画をやろうということになり、いろいろ検討した結果、第一弾は「メンバー各人いちおしのこの歌!」でテーマは「散り桜(広く「桜」でも可)」でした。湖乃ほとりさんの空いている掲示板を使い、指定時間に書き込むというスタイルを取りました。今後も定期的に企画を行おうということになっています。
 メンバー各自がログをもらったのでそれぞれ保存するようです。読者の方々にもそれぞれがどんな歌を選んだのか、そのあとの感想などを楽しんでいただけたらと思います。なお移動がうまくいかないので見えにくくて申し訳ありませんが、下から順番に見てください。
参加者(敬称略、参加順):あげまき、ロカ、ぱぐ、湖乃ほとり、くま
2001.5.8 古今会会長 ぱぐ

No.177 それぞれの感想

ぱぐ [2001/05/03()00:10:54]

>あげまきさん
 <宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける>
 さすがに叙情派ですね、こういう歌を選ぶのは。昼間見た桜が夜の夢の中でさらに美し
く思えるという、いい歌だなあ。
 いちおう「会長」なので(笑)、みなさんの傾向はつかんでいるつもりです。
 あきらめちゃだめですよ。チャンスはいくらでもあると思う(こんなところで激励して
どうする(笑))。
 
>ロカさん
 <駒並めて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花はちるらめ>
 当時の風俗なら友だち同士のような気がしますが、恋人でも取れるかな。花を雪にたと
えているのがいいと思う。さわやかな青年の歌なのでしょうね。
 
>ほとりさん
 <桜ばな 散らば 散らなむ 散らずとて ふるさと人の 来ても見なくに>
 声に出して読むと「ちらばちらなむちらずとて」のところが調子がいいですね。作者も
これを狙ったような気がする。
 <春霞 たなびく山の さくら花 見れども飽かぬ 君にもあるかな>
 恋人を桜にたとえているわけですか。口説きの歌だな、これは(笑)。くまさんがこれ
を贈ったというのがなんともいいですね。返歌なんかあったのかしら(笑)。
 
>くまさん
 <桜色に衣は深く染めて着む 花の散りなむ後のかたみに>
 ううむ。一読していい歌ですね。わたしも有朋はあんまり気にしていませんでしたが、
これで印象に残りました。「桜色」ではじまって、染めて着よう、散ったあとでもその記
念にということですよね。これも恋の匂いがするけどどうでしょう。
 まにあってよかったです。長いものを書くときはエディタとかに下書きすると安心じゃ
ないかな。わたしはこれいま、秀丸というエディタに書いてます。コピーして投稿。

No.176 私も再び感想!

湖乃ほとり [2001/05/02()23:59:51]

うわー、くまさん。>春霞・・・の歌、送られたのですか。
送られた方、うらやましい・・・。
私もあげまきさん同様、送られてみたいです!!
 
・・・もう、このへんでおひらきでいいのかな?

No.175 ふたたび

あげまき [2001/05/02()23:56:07]

オフラインで書いていたのでくまさんをとばしてしまい、申し訳ないです。
 
>くまさん
>人として生きていく上での、
>ある心意気としても共感できるかなあ
「桜色って色名を歌に詠み込むなんて珍しいな」ぐらいにしか思ってませんでしたが、さ
すがくまさん…。二度三度と読むうち、同じ歌でも違った読み方が出来るようになるなん
て、和歌自体も深いんですねえ。
 
「春霞…」お贈りになったんですか!! きゃ〜!!

No.174 感想です。

くま [2001/05/02()23:46:05]

本当に面白い企画ですね。堪能させて頂きました。
題が、「(散り)桜」ということで、
幅ひろくもなり、適していたと思います。
 
1ヶ月に一度(多すぎかしら)ぐらい、
開催したいですねえ(題が難しくなりますが)
 
 
▼ほとりさん、あげまきさん。
>春霞 たなびく山の さくら花 見れども飽かぬ 君にもあるかな
 
うーん、実は、この歌を人に送ったことがあります。
(今思い返すと、結構照れるものですが)
相手の名前に「さくら」という言葉が入っていたので、
使ってみました。

No.173 感想です!!

あげまき [2001/05/02()23:34:43]

皆さまの様々なご意見が伺えて、とっても面白かったです。
またいろいろやりましょうね!!
 
>ロカさん
「駒並めて…」、私はずーっと男同士の友情、みたいにとらえてましたが、恋人同士とと
ると「月の沙漠」みたいでロマンチックですよね〜。イメージが膨らみます。
>仏教的な意味合いもあるんでしょうか?
なるほど、気付きませんでしたが、山寺に詣でた後ですものね。鋭いご意見有り難うござ
います!!
 
>ぱぐさん
「散りぬれば…」、桜にも恋をしていたのかも、なんて…(^_^)
「いざ桜…」、人よりも桜のほうに親しみを感じている法師は孤独なんでしょうけど、こ
の歌では何だかしめっぽくなくって良いですねえ。
…すごい、私たちの好みのものは避けて下さったんですね(何も考えてませんでした、ご
めんなさい)
 
>ほとりさん
「桜ばな…」、ほんと、リズムがあって「和歌は歌だったんだなあ」ってことが再認識さ
せられますね。
「春霞…」、一度でいいから‘見れども飽かぬ’って言ってもらいたかったです…(悲し
い青春)。

No.172 古今会企画第一弾(くま)

くま [2001/05/02()23:31:44]

遅くなりました、すみません。
仕事はダッシュで帰ってきたのですが、投稿の瞬間にフリーズして…(涙)
 
さて、古今集からこの歌を推したいと思います。
 
「桜色に衣は深く染めて着む 花の散りなむ後のかたみに」
(紀有朋 巻第一 66)
 
実は、この歌を最初に知ったときは、
それほど心の琴線に触れる歌ではなく、読み過ごしていたのですが、
二度目ぐらいに古今集を読み返したときに、
魅かれるものがありました。
 
桜が散ってしまった後までも、
その形見としてせめて衣だけでも桜色に染めて、
そのよすがとして、心をなぐさめよう、といったところなのでしょうが、
これは桜花だけではなく、人として生きていく上での、
ある心意気としても共感できるかなあ、などと、
ふと気が付いたりもします。
 
有朋が古今集に撰ばれてたのは2首のみですが、
この歌だけでも存在は大きいと思ってしまいます。

No.171 Re2: ではでは、感想を・・・

ぱぐ [2001/05/02()23:24:09]

 だいたいみなさんの歌の好みを考えて、紀貫之とか同友則ははずし、よみ人しらずと無
名のお坊さんにしました。こういうときって編集者の心境になれるから楽しい。
 
 ところでくまさんはやっぱりお忙しいのかしらん。今日はお仕事だということでしたが
……。
 
 あと、最初のにメールアドレスを入れてませんでしたので入れます。

No.170 Re: ではでは、感想を・・・

ロカ [2001/05/02()23:14:03]

: みなさん、歌がブッキングしなくてよかったですー!
私も、けっこう気にしてました(笑)ブッキング。
敢えてメジャーな「久方の〜」は出さなかったし(笑)
 
: 今回はとても勉強になりましたし、知らない歌もたくさん覚えられて、
: よかったですぅ!
私も、面白かったです。
: いいなぁ、この企画・・・。また、違うテーマでやりたいですね!
: みなさま、どうお感じになりましたか?
そうですね。またのお誘いお願いいたします!
実は私、古語辞典等、資料が手元に無く、岩波文庫のみで参加している
厚かましさで、ちょっと申し訳ないです(汗)

No.169 ではでは、感想を・・・

湖乃ほとり [2001/05/02()23:06:00]

みなさん、歌がブッキングしなくてよかったですー!
でも、みなさんの歌を見ながら、『あ、これ、私も候補に
上げていたんだよなぁ』とか(笑)。
やっぱり、それだけ、魅力のある歌は引きつけるものがあるんですね!
今回はとても勉強になりましたし、知らない歌もたくさん覚えられて、
よかったですぅ!
いいなぁ、この企画・・・。また、違うテーマでやりたいですね!
みなさま、どうお感じになりましたか?

No.168 Re: 古今会企画・第一回「いちおしのこの歌!」

ロカ [2001/05/02()23:01:11]

:  また、こんなことも考えました。
:  夢の中で散る桜は、いわば世俗の塵を払った、純粋で幻想的な美しさを持ちます。
 
仏教的な意味合いもあるんでしょうか?
浄土では常に花が降っているということを聞いたような気がしますので。散華式の由来っ
てこれですよね?あ、でもあちらは蓮の花でしたっけ(汗)

No.167 古今会第一弾いちおしのこの歌(ほとり)

湖乃ほとり [2001/05/02()22:52:28]

どうもですー、湖乃ほとりですー。
私は解釈的よりも、リズムで選んでみました。
 
桜ばな 散らば 散らなむ 散らずとて ふるさと人の 来ても見なくに
 
(解釈)この庭の桜よ、散るならば勝手にちってもらおう。もし、散らずにいても、
無情な故郷人は来てもおまえを見ぬのに、それを待つのは無益なことよ
 
☆引かれたところ 「散らば 散らなむ 散らずとて」のところが
 とてもリズムがよく、おもしろいなぁと思いました。私は日ごろから
 和歌(短歌)を作るときには、リズムよく、とかおもしろくという
 ことを念頭に置いて作ったりしています(もちろん、雅であることが
 前提ですが)。なので、この歌はおもしろいなぁと思いました。
 
それから、今回のテーマとはちょっと外れてしまうのですが、
 
春霞 たなびく山の さくら花 見れども飽かぬ 君にもあるかな
 
(解釈)これはうちのHPでも載せている、お気に入りの歌なのですが、
どうもこれは恋歌に入るようで。
これは解釈なしでもそのまんまというかんじですが、見ても見ても
飽きない君のようですよ・・・というあたりが私的にツボです(笑)。
 
みなさま、いかがでしょうか?

No.166 古今会企画第一弾・いちおしの歌(ぱぐ)

ぱぐ [2001/05/02()22:50:10]

 こんばんは、ぱぐです。よろしくお願いします。
 
 題しらず
散りぬれば恋ふれどしるしなきものを今日こそ桜折らば折りてめ
                       よみ人しらず
(巻一・春歌上、64)
 
 雲林院にて桜の花をよめる
いざ桜われも散りなむひとさかりありなば人に憂きめ見えなむ
                       承均法師(そうくほふし)
(巻二・春歌下、77)
 
 実は今日の夜、本を見て決めた、にわかいちおしの歌二首です(笑)。ええと。ちょっ
といろいろありましたので、知人は誘っておりません。申し訳ありませんがふたり分くら
い務められたらと思っています。テキストは新潮日本古典集成で、数字はテキストの通し
番号です。
 64の方は恋歌の匂いがするものということで選びました。散ってしまったらいくら恋
しくても甲斐はないから今日桜を折ろうということですね。テキストの注釈者はお堅い先
生なのか、「桜を女性の比喩とする理解が平安時代にあった。いちおうおもしろい解釈で
あるが、もしそうなら恋歌の部にあるべきで、ここは春歌であるから、拡大解釈は不適当
」と書いています。しかし平安時代はほとんど恋の歌の時代と言っていいと思うので、元
の歌の作者の意図はともかく、そういう解釈があったことは当然だと思います。
 77の方は老いの歌ですね。さあ桜よ、わたしも散ろう、もう一盛りあったならかえっ
て惨めな姿をひとにさらすかもしれないから、ということですね。作者については調べが
つきませんでしたが、老法師でなくてもこういう歌を詠むことはあったかな。桜の散り際
の潔さを人生の比喩に持ってきています。こういう歌は後世たくさん作られていますよね
 こんなところでよろしくお願いします。

No.165 いちおし!この歌(古今会企画)

ロカ [2001/05/02()22:47:03]

古今会企画に、参加させていただきます。
散る桜にちなんで、おすすめの歌の紹介です。
 
巻第二・春歌下・題しらず・読人しらず・111(国歌大観番号)
 
駒並めて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花はちるらめ
 
*馬に乗り、並んで一緒に見に行こうよ
 なつかしいあの場所は 本当の雪のように花が散っているだろう)
 
○「ふるさと」は、旧都奈良を指す、とあるんですが、
 強引に自分好みに解釈してみました。
○そのほか明らかな間違い現代語訳がありましたら、
 ご指導よろしくお願いします。
●爽やかな雰囲気がして好きな歌です。
 花吹雪の中、仲むつまじい恋人の姿が思い浮かびました。

No.164 古今会企画・第一回「いちおしのこの歌!」

あげまき [2001/05/02()22:35:32]

 こんばんは、あげまきです。私は古今集から、紀貫之の詠んだ散る桜のお歌を選ばせて
頂きます。
 
 「山寺に詣でたりけるに、よめる
 
   宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける」
 
 貫之には他にも「さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に浪ぞたちける」という透
明で格調高い歌があり、どちらも好きなので迷いに迷ったのですが、今回はより叙情的な
ほうを選んでみました。
 訳は、「春の山辺で旅寝の夜は、夢の中にも桜散る…」といったところでしょうか。
 
 この歌の眼目は、現実の桜を直接歌っていないところにあると思います。
 彼が昼間実際に見た桜は、二句の「春の山辺」という語句によってほのめかされますが
、印象は曖昧です。それが四句で一転、鮮やかな印象に変わります。「も」という並列の
助詞を用いることで、昼の桜と夜の桜とが二重写しになり、歌に奥行きや厚みが増すので
す。二つの時間が夢の中で桜を媒介に一つになり、永遠をも感じさせます。もしこれが、
夢ではなく現実の闇の中に散る桜であったとしたら、これほどまで奥行きのある歌にはな
っていなかったかもしれません。
 
 また、こんなことも考えました。
 夢の中で散る桜は、いわば世俗の塵を払った、純粋で幻想的な美しさを持ちます。しか
し、夢にまで見るということから、昼間の桜はそれ以上の感動をもたらしたであろうこと
が分かります。山辺の桜は、あまりに美しかった。それは歌にできないほどだった。芭蕉
が松島の絶景を前に「口をとぢ」たように、貫之もまた山辺の桜を前に言葉を失ったので
はなか…。
 そう思うとき、この歌に散る桜は、単なる夢よりも美しいものとなるのです。
 
 以上、独断と偏見で意見を述べさせて頂きました。おそまつ様でした。