福岡・大分紀行(1999.2.5〜2.8)


(4) 【由布院編(その2)】2/8(月)晴れ

きのう宿泊のことでもめた三人組は7時にどこかで待ち合わせだと言っていたので、朝ばたばたする音が聞こえた。
朝食は8時。柑橘類のジュースがおいしい。パンも焼きたてでおいしかった。おかずはスクランブルエッグとソーセージなど。コーヒーはカップに入れてくれたほかにポット(コーヒー用の縦長のもの)がついたので、結局3杯飲んだのかな。私が飲んだのは違うけど、一日50杯限定の水出しコーヒーというのがあって、もっとおいしいらしい。
地方に行くと地元の新聞を読むことにしているのだが、ここは大分合同新聞というのがあった。なんで「合同」なのかな?戦時中の昭和17(1942)年に新聞の合同があって、西日本新聞などはこのときできているのだけど、大分県内のも合同したのかしらん。今度ひなつさんに聞いてみよう。

10時にひなつさんが車で迎えに来てくれた。時間があったので、ここの宿の猫と遊んだり、もう一冊持ってきたジェフェリー・アーチャーの『十一番目の戒律』(新潮文庫)を読む。ミステリの会議室では誰もふれていないが、これもミステリに入れていいと思うな。アーチャーはいつもながら話の運びがうまい。
ひなつさんはきのうとはうって変わって、ミッキーマウスの絵が背中についているオーバーオールで来た。私がずいぶん違うね、と言うと
「温泉に入るから入りやすいかっこうでと思って」
とのこと。今日は大きな露天風呂に入ることになっているのである。

由布院の近くに自衛隊の基地があって、米軍の演習場が沖縄の普天間基地から移ってきた。2,3日前から演習をしているらしい。そういえばうちで見た新聞にも載っていたような気がする。沖縄のようなもめごとがないように、地元のひとたちが監視小屋で見張っているそうだ。「防衛」に来て地元のひとに疑問視されるのは皮肉だな。宿のおかみさんも行っているという。

その話が終わりそうもなかったので宿のおじさんが声をかけてくれて、出発。ひなつさんの真っ赤な車は宿のおかみさんも面白いと思っているらしい。
露天風呂「空海の湯」がある「山のホテル夢想館」に向かう。フェアレディZがリッター7と聞いても感覚がわからなかったが、帰ってきてトトロに聞いたら、うちのロゴという1300ccの車だと15と言ったので、やっとわかった。やっぱり燃費高いね。ひなつさんは最初5くらいだと思っていたそうだけど。

温泉の入り口で料金を払う。貴重品はフロントかここの入り口で預けるのだそうで、ここに預けたが温泉の脱衣場に貴重品用のロッカーがあるじゃないの。ひなつさんが帰りに入り口のひとにそのことを言ったが、はっきりしない返事だった。なんかばかにされてるみたいで感じ悪い。

温泉は下っていったところにあり、女性用は去年の秋にできたばかり。女性用の方が「空海の湯」である。空海弘法大師はいろんなところに行った伝説のあるひとだけど、ここにも来たことになっているのかな。家族風呂もある。
何組か来ていて全部で15人くらいは入っていたと思うが、150畳とかの露天風呂はさすがに広い!由布岳が正面に見える。この日も天気が良かったので、写真を撮っている若いひとたちがいたけど、カメラはだいじょうぶなのかな。

デジカメは預けたので「写るんです」でも買ってくればよかったねと話す。ひなつさんは仕事用に?一眼レフのカメラを持っているらしい。デジカメもほしいとのこと。私のはちょっと重くてズームがないのが難点。今はもっと性能がよくて軽くて、しかもカード式でたくさん撮れるのがある。そういうのが欲しいと言うと、トトロはいまのを自分が選んだのでいやな顔をする。(その後、新しいのを買いました。2002.5.9追記)

温泉のお湯は透明で匂いとかはしない。ひなつさんが
「ふつうの水を沸かしたんじゃないよね?」
と言ったが、こんな広いところの水を全部沸かしたら大変だと思うなあ。ここの温泉は単純泉というのらしい。湯布院には単純泉が多いそうだが、炭酸ナトリウム泉、ナトリウム塩化物泉、弱炭酸泉などというのもあるそうだ。由布岳はもともと火山で今は休火山。
湯当たりしそうになってきたのであがる。子ども連れのひとの子どもが広いので喜んでいた。お茶でもしようかと「喫茶」と書いてあるところに入ったら食事のメニューだけだったのでやめる。文句を言った入り口の後ろの売店で「由布院の水」とかいうペットボトルを買う。ほんとはラムネが欲しかったけど、きのうの日曜に売り切れたのだそうだ。水はおいしかった。ひなつさんは自動販売機でトマトジュースを買った。

スカーボロに乗るまで時間があるので、「ゆふいん麦酒館」に寄る。地ビールが呑めるところである。いつも混んでいるという話だったが、月曜日のせいか、がらがら。ひなつさんは並ばないで入ったのは初めてだという。大きなタンクが見えるようになっている。ここは醸造所とレストランが同じ施設の中にあるのだ。ひなつさんは黒ビール、私は名前を忘れたがちょっと香りのいい冬季限定ビール。つまみはソーセージとハムの盛り合わせ。
英国で呑んだギネスは鉄みたいな味だったので鉄分補給にいいんじゃないかという話をしたら、ひなつさんは驚いていた。ビールって滋養強壮のために呑まれていたこともあるというから、まんざらでもないだろう。歌会以外のパソコン通信の話など。

駅に行く。ここから出発するスカーボロに乗るのである。今日は空席あり。といっても15人も乗れば一杯の小さな車だけど。英国製のクラシックカーを改造したもの。なぜか車体に"Back To The Future"と書いてある。

由布院駅は大分出身の建築家、磯崎新(あらた)が設計したものだそうだ。黒っぽい建物で二階みたいなのがついてるけど登れるのかな。あとで写真を撮ろうとしたら、デジカメの枚数制限に引っかかって撮れなかった。ひなつさんがよく利用する大分県立図書館も磯崎の設計だそうだ。

運転手は年輩のおじさん。ひなつさんは乗るのは初めてだそうだ。いちばん後ろに座ったら、私たちの隣りに小さな子どもを二人連れた若い女性が座る。子どもは上の男の子が3つか4つくらい、下の女の子はまだ赤ん坊。ひとりで二人も連れて大変だなあと思っていたらひなつさんと話を始めた。福岡から由布院に越してきたばかりなのだという。買い物が不便だとか。ひなつさんは福岡に住んでいたことがあるらしくて、どの辺に住んでいたとか話していた。男の子が乗り物好きなのでスカーボロに乗ったらしい。

最初に「ゆふいんフローラハウス」という温泉熱を利用した温室へ。洋ランなどがたくさんある。奧でカモミールティーをくれた。ハーブティーがあまり好きじゃないのでカモミールも飲んだのは初めてだと思うが、そんなに匂いはきつくない。眠れないときにいいのだったかな。
次に「興禅院(こうぜんいん)」というお寺へ。菊池寛の『恩讐(おんしゅう)の彼方に』という小説のモデルになった禅海という坊さんは、人殺しをした罪滅ぼしにここで出家し、30年かかって青の洞門を掘ったのだそうである。青の洞門は耶馬渓(やばけい)にあるトンネル。私はその小説は読んでない。禅海が女房と一緒に立っている像があったが、ひなつさんは女房持ちとは知らなかったという。お寺のひとはいなかったので朱印なし。

次は通称「六所宮」、正式には「宇奈岐姫(うなぐひめ)神社」に行く。運転手のおじさんが「うなぎ」と読んではいけないのだと言った。ご神体は由布岳なのだそうで、奈良の三輪山と同じく古い信仰の神社なのだろう。数年前の台風で境内の大杉が倒れたのだそうで、切り株が保存してあった。樹齢六百年とかの木もあり、直径が9mというから驚く。ひなつさんはそんなすごい台風あったかなと首をかしげていたけど。(あとで聞いたら東京に住んでいた頃の話とのこと。台風19号が大分県全域を荒らしまくり、日田杉が大損害を受けて林業関係者が何人も自殺したという。)ここもひとがいなかったので朱印なし。土日以外は出てこなかったりして。

向かいの茶店で漬け物をつまんだり、かぼす茶を飲む。かぼすは大分の名産の柑橘類。おみやげにかぼす茶を買う。豆腐アイスを買っていた若い女性二人組あり。
終点は民芸村だが、時間がないのでそのまま駅に戻る。正味10分くらいずつだったが、観光としてはまあまあじゃないか。おじさんとスカーボロのテープでの案内付きだし。

ひなつさんが大分港(大分空港までのホバークラフト乗場)まで送ってくれるというが、ちょっとだけ時間があるので、由布院の町なかを通り、燻製を売っているお店に行く。外にフォークとソーセージの大きな看板がついていて、
「面白いでしょ」
とひなつさんが言った。トトロ用に牛タンと地鶏、友だちに地鶏とソーセージを買った。ひなつさんもおかず用に買う。

由布院で空想の森美術館に行くのを忘れたのは残念。竹ペンとか美術館のオリジナル葉書があったらしい。行けなかった友だちとかに絵はがきを出そうと思っていたのだが、宿には絵はがきはなかった。その代わり思う存分本を読めたのでよしとしよう。

大分自動車道を通り、別府で下りて大分港へ。別府にはいろんな「地獄」があるらしい。ひなつさんがこのへんで取材した話を聞く。

たんぽぽさんは九州というと南国のイメージがあって、フェニックスを見て納得したのだそうだ。宮崎にはいっぱいあるけどね。

大分港には予定の30分くらい前に着く。直前にはたくさんのひとが集まってきた。サラリーマンふうが多い。ひなつさんとはここでお別れ。二日間お世話さまでした。
ホバークラフトは空気抵抗で海の上を走るのだと思うが、けっこう揺れた。

(この項終わり・完)

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