2005/12/17 土曜日

同級生が出ている芝居

Filed under: 日記 — pug @ 21:08:24

16日は中学高校の時の同級生が出ている芝居を観に、下北沢に行ってきました。

10月にフルートとチェンバロの同級生二人のコンサートにそれぞれ行ったが、どちらも何回か聴いたことがあった。

きのうの同級生Tさんが出ている芝居を観たのは初めてで、前から楽しみにしていた。
75席という小さな小屋で、開演したら一幕中は入れない、と訊いていたのに開演ぎりぎりになってしまい、あわてて階段を駆け上がる。

と、スタッフが
「”リタの教育”の方ですか?」
「そうです、すみません遅くなって。もう始まっちゃいました?」
「いや、もうすぐ始まるところです」

来ないので席を詰めたという。あわてて3列目のはじっこに滑り込む。マフラー・手袋は取ったがコートを脱ぐ余裕はなかった。

と、ほんの目の前で真っ暗だった舞台に電気がついた(つまり、幕はないのです)。

舞台には50くらいの男がひとり。大学の研究室らしい。
電話がジリジリ鳴る。
夕飯に帰るかと訊かれているらしく、パブに寄って帰るとか言い、言い争いになる。

ドアが激しく叩かれる。
「どうぞ」
立て付けが悪いらしく、かなり激しく押しているようなのに開かない。

いきなり、バン、と開いて、
若い女がすごい勢いで入ってきた。

という始まりなんである。
出演はこの二人のみ。
社会人講座を受けに来た美容師の若い女リタと、いやいやながらそれを引き受けてしまった英文学の中年教授フランク。

入ってきたときのリタは、あ、室井滋、と思った(笑)。思ってることをすぐ口にしちゃう、ちょっと厚かましい女。

ん、これは現代版「マイ・フェア・レディ」なのかな?と思って観ていると、ちょっと違うんだな。あれは言葉遣いだが、こちらは感想ではなく文学批評ができるようにするのだ、という。

最初は好き嫌いの感想しか言えなかったリタが、そのうち、レポートらしきものを書けるようになってくる。

おもしろかったのは次の場面。
『ハワーズ・エンド』の
「われわれはこの話では、非常に貧乏な人たちには用がない」
にカッときて先が読めなくなってしまい、
“only connect”
ばかり出てくるけど、なんのこと?
と思っていたのが、具体的に理解できるようになるところ。

違う背景を持ったひとたちが交流するむつかしさとそれを乗り越える、というのがこの小説のテーマなのだが(わたしは映画しか観てないけど)、この芝居自体も同じ側面がある。

演技では、酒飲みのフランクがへべれけになるところがとてもリアルでありました。久しぶりに父が酔っぱらっているところを思い出した。
リタは、知識を得てフランクの助けを借りなくても”批評”ができるようになっていくわけなのだけど、芝居の中の時間の流れは一年なのかな?その成長ぶり、変化が出ていたと思う。

二幕ものだったので、ほんとに間に合ってよかったと思った。開演前に入れなかったら空きのある他の日に振替もできるらしいのだが、わたしはこの日しか時間が取れなかったので。

終わってからプログラムを買おうとしていたら、Tさんが出てきたので、すこし話す。
「いやー、すごいね、せりふの量がハンパじゃないもんね」
と言うと、
「裏では衣装の早替わりもあるからね、もうたいへん」
とのこと。フランクは部屋にいるのがほとんどだが、リタは出たり入ったりするので、そういう苦労もあるのだった。体力勝負だそうである。ちなみに上演時間は2時間40分。

同級生が何人か見に来たとのこと。

閉館しないといけないというので、では、また、と言って別れた。

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