2008/12/21 日曜日

きらいにならなかった不思議

Filed under: 日記,散文・文章 — ぱぐ @ 9:53:37

わたしは人に合わせるということができなくて、すぐ自分のことをぺらぺらしゃべってわかってもらおうとする習性があるらしいのだけど、そこに合わせてくれていた人が合わせすぎて、とても寂しい思いをしていたことが判明。

育った環境がぜんぜん違うので、手探りな状態で何か接点を見つけていくしかないだろうけど、そもそもその人がまだわたしとのつきあいを続けてくれるのかどうかがわからない。
こっちからおせっかいなことをするのもいけない気がするしなぁ。

待っていて、なんとかなるかな。
一緒にいた人はショックを受けたみたいだけど、わたしはきつい言葉を吐かれても、その人のことがきらいにならなかった。我ながら不思議。母の極端から極端に振れる言動で鍛えられたから(?)、ちょっとくらいのことでは驚かないのかもしれない。
哀れむとかという気持ちも薄い。
自分が鈍感だった不明を恥じるのと、その人のために何かできることがあるといいなあ、という気持ちでいる。

神谷さんが精神科医として患者さんに接していく中で、そういう思いがけない思いをすることはけっこうあったんじゃないかという気がする。
手持ちのカードをどう出していったのか、何か参考になるかもしれないと思って『こころの旅』(みすず書房、神谷美恵子コレクション)を読み返している。

2件のコメント

  1. 昨日の記事から推し量りますとご自分の現在の
    心境を吐露してらっしゃるのですから私などの
    登場する場合ではないのでしょうがコメント欄を
    開いていらっしゃるので相変わらず厚かましく
    “出張って”参りました。(笑)

    状況情報が希薄なので私の想像の範疇の
    ぱぐさんの人間関係のきしみ・・・

    自分を先に押し出してわかってもらおうと
    するのは、自分を出せないで何となく合わせて
    しまう相手からするとある意味脅威に感じることも
    あるかも知れませんね。
    ましてガマンしている人間の圧縮された怒りの
    瞬発力はなかなかのもの。^^
    私など長く生きてますから、似たようなことは
    多々あります。

    >待っていて、なんとかなるかな。

    こっちからはヘタに動かないほうがいいかも。
    焦って動くのは、今現在の心が痛いから、
    ただそれを癒すため自己を納得させるための
    付け焼刃。結局、相手のためじゃないのね。

    ご縁のある方ならば、
    むこうから、動いてくれます。^^
    そして、これは全てにつながることですけれど
    こういうときこそ、ぱぐさん、“時を、かせごう”よ。

    コメント by viva jiji — 2008/12/21 日曜日 @ 20:32:06

  2. >viva jijiさん

    コメントありがとうございます。
    ここを読んでいてくれる人なので(現在読んでいるかどうかはわかりませんが)、あんまり詳しく書けないのですが、そうですね、向こうの出方次第になるかなあ、やっぱり。

    もしご縁があれば、今度は向こうの気持ちに添って何かできたらいいと思います。

    今はただ縁がありますように、と祈るのみです。

    コメント by pug — 2008/12/21 日曜日 @ 22:47:31

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