2014/1/27 月曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(10)

Filed under: ,神谷美恵子,音楽,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 19:06:40

鼎談の続き。

石田:愛生園の人たちにとっての「優しさ」ということを考えます。『生きがいについて』について後に書かれたことを直接言ってもらったのは貴重なことだと思っています。
神谷先生は入所者に「母」を思わせるところがありました。
青い鳥楽団という園内で結成された音楽活動グループで使うハーモニカを探したり、文芸活動や宗教活動を見守っていました。

樋野:わたしが関わっている小児がんの施設には犬が二匹いるのですが、病院ではおとなしいのですが、自宅に戻るとやんちゃだそうです。

神谷徹:愛生園に行って何をしているのか、説明されたことはなかったです。がんにかかっていたことも知らなかった(ぱぐ注:子宮がんになったのは41歳。長男律氏・次男徹氏ともまだ小学校低学年だった)。
のど自慢用の鐘を愛生園に贈るためにカタログを見ていたのは覚えています。
愛生園で音楽活動をする時、指揮をする人はゴム管を使うのですが、その話はしてくれました。
「使命感」、愛生園に行くのが自分の使命だということはよく言っていました。
息子が家でゴロゴロしていると歯がゆかったかもしれません。それは神谷美恵子を鍛えることの一つになったかもしれない(聴衆より笑い声)。

樋野:思想として練られたもの、使命感ということですね。神谷さんは正論より配慮を優先した。相手が間違っていてもまずは受け入れた。
(聴衆に向かって)これから毎日神谷美恵子の本を少しずつ読むといいかもしれません。
今の学生は自分の読みたいものを読み通そうとしない、すぐ人の意見に左右されてしまう。
長島愛生園で年に一回、神谷美恵子の読書感想発表会をしたらどうですか?若い人を対象にして。岡山だと山陽新聞かな、今日も来ていると思うのですが、後援してもらって(聴衆より拍手)。

石田:いいですね、是非やりたいです。

神谷徹:母は書くことが好きでした。頼まれなくても書いていた。息子にも書け書けと言いました。
手紙はすぐ出すし、論文の提出も早かったです。論文は早すぎるとあとでそれを参考にして他の人が論文を書いたりするので、タイミングが悪くなって怒っていることもありました。
せっかちで、電話が鳴ると走っていました。
タイプライターの音やインク消しのにおいを覚えている(ぱぐ注:最晩年、完成できなかった英国の作家ヴァージニア・ウルフに関する英文論文のことではないかと思われる)。

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