2014/1/22 水曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民文化会館(6)


日野原氏の履歴の続き。

1970=昭和45年、よど号ハイジャック事件に遭う。もしかしたらあの時殺されていたかもしれない。
 (ぱぐ注:過激な左翼の赤軍派が飛行機を乗っ取って平壌に向かえ、と要求した。韓国の空港で山村運輸政務次官が身代わりとなり乗客を解放。その後飛行機は北朝鮮に向かった)
アメリカのエモリー大学に留学。ここはコカ・コーラの社長がお金を出して作ったところ(ぱぐ注:米国南部ジョージア州アトランタにある。1836年設立のメソジスト系私立大学。米国における疫学研究の拠点。コカコーラはアトランタに本社があるのでゆかりが深いのであろう)。
1973=昭和48年、日野原ライフプランニングセンターを設立。
1979=昭和54年、聖路加国際病院院長に就任(神谷美恵子はこの年10月に65歳で逝去)。
1995=平成7年、地下鉄サリン事件の時、築地駅でも被害者が多数出たので、640名の急患を聖路加国際病院で受け入れ。

日野原氏とハンセン病の関わり。

京都帝国大学在学中に、講師だった小笠原登医師からハンセン病のことを聞いた(ぱぐ注:小笠原登1888-1970は強制隔離・断種に反対した医師で、その考えのため、医師の学会から締め出された)。
YMCAの寮にいた時に、日本基督教青年会医科連盟(昭和14=1939年発足)に関わった。この連盟は満州での地域医療に携わったことがある。
1949=昭和24年、日本キリスト者医科連盟設立。ここは台湾でハンセン病の治療に携わった医師がいる。
1976=昭和51年、笹川記念保健協力財団でハンセン病に関する事業を始める。

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