2014/1/15 水曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(2)

Filed under: 神谷美恵子,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 21:38:48

前置きが長くてすみません。
まだ神谷美恵子(当時は前田美恵子、以下美恵子と書きます。敬称略)がハンセン病に初めて出逢ったところの話でした。十九歳の時です。
(1)の記事のハンセン病に関する社会的政治的な変動については、このあともずっと関係しますので頭に入れて置いてください。

若いころに大きなショックを受けるとその反動といったようなことが起こるのは誰しもあることだと思うのですが、美恵子はここでこの人たちのために働くことはできないか、と考え始めます。「病気」ではなく「病気になった人たち」のために、というところが大事なポイントです。

その後、自身が結核にかかっていったん治癒したものの(結核もまだ有効な治療薬が発見されていなく、静かな空気のきれいなところで過ごすのが当時の療養スタイル)、また再発するということがありました。ハンセン病と結核はすぐに死亡につながりにくい、というところに共通点があります。病んでいることが自分でよくわかり、ゆっくりと死に向かっていく、というのが現在の死因第一位のがんと違うところだと思います。

結核の治癒が認められたのが23歳。当時だと女性は結婚年齢が早めですからやや過ぎています。当時の家事は電化製品がないころで手作業が多い。疲れるのはまた再発のおそれもあるので主治医からは5年間は結婚するのはむずかしいい、という忠告を受けています。
津田塾では将来を嘱望されていてアメリカ留学を勧められた(創設者津田梅子1864-1929は7歳で最初の女子留学生の一人として渡米。帰国後華族女学校で教えるが再度留学後、津田塾を開いた)。

経歴だけ追っていっても神谷美恵子自身を知ることにはならないと思うので、人となりをわたしなりにまとめながら書いていますが、改めてむずかしいなあと思います。
もう一回、前置きを挟みます。よろしくおつきあいください。

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