人前で話すということ―「英国王のスピーチ」を観て
昨日、府中で映画「英国王のスピーチ」を観てきた。
昨年度に引き続き学校で仕事している。補助だからわたしがメインで話すことは少ないが、それでも急に自己紹介お願いしますね、と言われて何回かその場で話した。
昨年度は初日は職場にひとりで行ってくださいね、と言われた。どきどきしながら出向くと、いきなり全校の子どもたちの前で挨拶してくださいね、と言われた。何も準備していなかったわたしは台の上に立った時に上手く言葉が出てこなくて、名前を名乗り、よろしくお願いします、くらいのことしか言えなかった。初日からこれでだいじょうぶだろうか、とかなり落ち込んだのを覚えている。
書くことはぜんぜん苦にならないのだが、おおぜいの人の前で挨拶するのはニガテとしている。推敲できませんからね。丸谷才一は人前でスピーチした記録集を3冊出しているが、必ず原稿を書き、誰かに聴いてもらって手を入れ本番に臨むという。丸暗記ではなく、巻紙式の原稿を読み上げるらしい。
この映画では、内気でどもる癖のある男が家庭の事情から思わぬ王位につくことになり、国民に語りかけるための準備をする。
意識すればするほど、言葉というのはスムーズに出てこないものだ。震え声が自分の耳に届いてしまうし、聴いている人の表情も目に入ってくる。授業もそうだけれど相手を無視して一方的にしゃべっても意味はないので、相手の反応を見ながらうまく乗せていくのが名人技である。
男の話し方の訓練相手になったのは植民地出身の年配の男だった。幼いころの体験が話す妨げになっていると考える訓練相手は、訓練する場では対等の立場を要求し、息の出し方、早口言葉の練習などのほかに、男の心を開き、つらかった経験を話すところまでこぎ着ける。
そして最後、長く大事な話を国民に向けて生放送で10分近く話すことになる。原稿はチェック済みなので、あとはそれを生放送に乗せるだけだ。訓練相手は狭い部屋の中で男と2人きりになり、窓を開け、「わたしに向かって話すんだ」という。最初は目の前で声のトーンや息継ぎを指揮者のように指示していたが、男はだんだん自分で話せるようになっていく。それをラジオの前で聴き入っている国民の表情。
終わって男は礼を言い、訓練相手は初めて彼を陛下、と呼ぶ。
王妃の安心した表情が印象的だった。