2007/10/26 金曜日

「折々のうた」最終巻

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:44:17

大岡信<まこと>の『折々のうた』、朝日新聞一面の連載は今年の3月末で終了。最後の岩波新書版『新折々のうた9』が10月に出たところ。
足かけ29年になるという。わたしが中学生のころに始まった。ちょうどそのころ母校の恩師が古典のおもしろさを教えてくれたのと、国文出身の父が詩歌好きで(たしか卒論は近代詩)いろんな本が実家にはあったので、これも読み始めたわけです。

ほかに詩歌の本としては茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)を愛読し、たくさん線を引っ張ったのが今でも手元にある。これも中学生のころ。

わたしは詩心に乏しい人間で、10年ほど前に誘われて歌人たちとつきあうことになった時、なんか肌合いが違うな、と思い、「マラソン・リーディング」という自作詩歌の朗読会に行ったときは、「歌人というのはどういう人達なのか」を観察しようと思って行った。観察記を長々と二度ほど書いてます。

我孫子にいるときは朝日新聞と日刊スポーツを取っていたことがあったのだけど、途中でお金が続かなくなって、毎日新聞の日曜日だけ読書欄を見るために買うことにしたので、「折々のうた」は読めなくなってしまった。
新書の方は続けて買うことにしていたと思う。

ちなみに家人はテレビ欄を見るだけに新聞を使う。
独身時代は売り込みが来るたびに替えて毎度毎度、洗剤をもらったとかいうので大笑いした。

で、「折々のうた」に戻りますが、朝日新聞を読んでいたときは毎朝紙面で、新書版が出ればまたそちらで、という具合で二度以上は読んでいますね。すこし前にあるお題で歌を詠もうと思ったときは参考のために全部見たから、また久しぶりに読み直したことになる。
この本の何がいいかというと、分量的には短いものしか載せられないので、長い詩だったりすると一部だけだが、短歌や俳句なら全部載るし、隆達小唄<りゅうたつこうた>とか梁塵秘抄<りょうじんひしょう>などの歌謡系(つまり節にのせて唄うもの。今だと流行歌)、海外の子供の作った俳句、日本の高校生の俳句、むかし日本の植民地だった台湾で日本語の熟練者たちが作った短歌、という具合に、ふつうは図書館でもよく探さなければ読めないようなものが手軽に読めること。今の図書館だと予算が足りなくて硬い本を置いてなかったりするらしいから、なおさら貴重じゃないかな。
こういうところから興味を広げていって、読書の幅を広げるというのが楽しいところなので、そこから自分でも作ってみたりすれば、なおいいではないですか。

わたしは古典和歌では古今集が好きなんですが、父の本棚には誹風柳多留<はいふうやなぎだる>などの川柳集もあったので、勝手に借りて読んでいました。だから有名な「寝てゐてもうちはの動く親心」なんてのは中学生の時から知っていた。最近ときどき一人連歌を作って楽しんでいるんですが、季語が入らない川柳みたいなのができちゃうのはその愛読の影響かもしれない。別に川柳をおとしめているわけではないけど。今は毎日新聞の「万能川柳」(コピーライター仲畑貴志・選)(リンクは今日のもの)を愛読しています。投稿はまだほとんどしてないけど。

取り上げるものは大岡信が自分で選んでいるので、たとえば穂村弘とか升野浩一あたりが入ってないのはたぶん好みに合わないんだろうな、とか同い年で早熟の(中学生ですばらしい短歌を詠んだ)紀野恵を取り上げてないのはなんでなんだ、とか編集の方にも目がいきます。

「ぱぐのだらだらさろん」というまだ生かしてあるサイトの方には「ぱぐの好きな歌」という連載コーナーを作って、主に古典和歌を取り上げて何ほどか書いたことがあるんですが、スタイルは「折々のうた」を意識していました。文章の部分はもっと長いですけど。

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いやな人を一発で黙らせる方法ってないかなあ。
持って回ったような言い方されると推理(?)しなくちゃいけなくて、さらに腹が立ってくる。

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