神谷美恵子についての雑談お茶会
きのうはLさんのご両親の家に伺い、神谷美恵子についての雑談お茶会をしていただいた。
今、いちばん力をいれてブログで書いているのは神谷美恵子のことなのだけど、コメントをくれる人がいなくてつまらない。書くからには反応が欲しいので、Lさんとは前からいろいろ話したりメールでやりとりしているのだけど、お茶会では神谷美恵子の話題全開だったので楽しかった。
まあ、神谷美恵子が亡くなってもう30年近く経つわけなので、もう歴史上の人物になってしまっていて、わたしの同級生でも名前を知っているひとがどれくらいいるものやら。実際に原稿(?)として書くときには、神谷美恵子って誰?と思う同級生に説明するつもりで書こうと思っている。
今回の雑談の目的は、神谷美恵子が若いころ、無教会派キリスト教の大きな影響を受けていたので、その信仰者たちの雰囲気を知りたくて、Lさんを通じてお訊きしたところ、Lさんからお茶会にしませんか、と言われたのでご招待を受けたのである。ご両親はルーテル派だそうだが、お父さんは内村鑑三を初めとする無教会派についても関心をお持ちということなので、質問相手にはよかった。
わたしは大学だけカソリックの学校に行ったが、キリスト教に限らず信仰と言えるような物は持っていないし、プロテスタントとカソリックの違いも実はよく知らないので、日本史の本を読んでみても明治以降のキリスト教各派がどう違うのか、わかりかねていた。
無教会派というのは内村鑑三から始まったのだが、次第にセクト化していったらしい。華道なんかのように「内村流」なんてのにはならなくて(笑)、それぞれ独立した人が聖書にちなんだ名前を付けたらしい。今もあるという。
神谷美恵子は自分で本を読んで考えるほかにも、その道の人に対して質問魔だったらしく、わたしが初めて聞く名前の前田護郎という新約聖書の専門家だった学者にもいろいろ質問しているという。あーこれでまた人物項目が一人増えてしまった。
旧約聖書については、ソドムとゴモラ(地名)とか、ソロモンとかダビデが王様の名前だよなあ、というくらいの知識しかなかったので、阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)というエッセイを読了したところ。これはキリスト教の信仰を持っていない人が持っていない人向けに書いた物なので、初心者向きではある。神谷美恵子は聖書の言葉を全部諳んじていたと次男の妻が書いていたけど、それはたぶん文語訳。文語訳まではちょっと無理だろうから、阿刀田も勧めている犬養道子の『旧約聖書物語』『新約聖書物語』(いずれも新潮社)を読んでみようかと思っている。犬養道子は五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫で、クリスチャン。聖書研究をライフワークの一つにしているという。
アガサ・クリスティーの本にも聖書のことが、ちらちら出てきてよくわからなかったので、そっちの方も兼ねていろいろ読んでみるつもり。
しかしつくづくわたしは親の世代かそれ以上くらいのおぢさん(もはやおぢいさんだが)に受けがいいんだなあ、ということを再確認してしまい、なんだか苦笑。
こんにちは。
「コメントをくれる人がいなくてつまらない。」というのは、よくわかります。
神谷美恵子の名前は大学の時から知っています。書店で手にとってパラパラとページをめくったことがあったような気がします。
だけど、神谷さんの本は買わなかったし、読まなかったので、僕にとっては名前だけ知っている人なんです。
それでぱぐさんが、神谷さんについて書かれた記事を読んでも、コメントしずらいものがあるのです。ごめんなさい。
だけどしっかり読んでますよ。
コメント by よんちゃん — 2007/10/25 木曜日 @ 9:57:04
昨日はお疲れさまでした。
たしかにぱぐさんは、をじさんキラーだなぁ、というのをまのあたりにさせてもらいましたよ。(笑) 自分の好きな分野についてよく勉強している女の子(! 彼にすれば娘のお友達ですから、まさしく女の子でしょう☆)に「おしえてください」みたいに言われたらイチコロで張り切ってしまいます!(^^)
父もますます関心を持って読書するのではないかと思います。
昔からミッションスクールの友達のレポート作成とかには借り出されていたんですよ。なんせ、関係書籍+新聞切り抜きもどっさりはさんで持ってるものだから重宝がられてました。 母にはくすんだ紙の山にしか見えないらしいから張り合いが無いでしょう。(笑)
うちの息子を教えてくれてるのが他のお宅のお母様で、私もほかのうちの子にエール送っているし、ちょっと距離のある大人というのも、ほどほどの緊張感があって悪くないようです。
父は英文にも強いので、何かあったらまた聞いてやって下さい。絶対張り切ります!
コメント by るーしー — 2007/10/25 木曜日 @ 10:25:13
>よんちゃん様
名前はご存じと伺ってそんなものかなあと思いました。
まあ、わたしが神谷美恵子にこんなに入れ込むことになったのは、大学生になったころがいちばん人生で空しい思いを抱いていたころで、現実世界にあんまり興味を持てなかったからなんですよね。同じような思いをした人が昔もいたんだ、ということがいちばん共感できたことだったように思います。
そのころ神谷美恵子について考えたことを書いたノートをきのう持って行ったのですが、ずいぶん一生懸命考えたんだな、と思いますね。
>るーしーさん
お世話になりました。パソコン教室の先生は父より一つ上のおぢさんでしたから、あそこでもおぢさんキラーになってしまって、まったく、ですよね。
神谷さん自身もけっこうおぢさんキラーだったんじゃないんですか(笑)。東大精神科医局に入ったときの主任教授内村祐之(鑑三さんの息子)は、加賀乙彦(もともと精神科医、今は作家)に楽しそうに神谷美恵子の話をしたことがあったそうです。
お母さんはどう思われたかしら。なんだかおもしろいことに興味を持つひとだ、くらいかな。
英文にお強いのでしたらいろいろ伺えますね。わたしは語学がぜんぜんできなくて、それも大学生の時ついて行けなかった原因の一つですから。神谷さんに習えばフランス語もできるようになったかな、とたまに想像することがあります(笑)。
コメント by ぱぐ@管理人 — 2007/10/25 木曜日 @ 14:07:09
神野美恵子のことは全然知らなかったの
だけれど(18歳から日本を出ちゃったというのは
言い訳かもしれないけれど)
今読んでいる本の中で安野光雅が天皇以外にゼニ金抜き
に働いている人は神野美恵子とリデルさん以外考えられない
と書いてますが、そういう一行読んだだけでもぱぐちゃん
がブログに彼女のことを書いているおかげで深く考える
ことができるってもんです・・・挫けずお勉強続けてください。
コメント by おいちゃん — 2007/10/25 木曜日 @ 23:04:55
>おいちゃん
ありがとう。
あれ、おいちゃんってそんなに早く日本を離れちゃったんだっけ。留学してから一回帰ってきてたのかと思ってたよ。
リデルさんって誰かしら。と思って調べたら明治の中ごろにハンセン氏病の患者のための病院を建てたイギリス人の女の人なんだね。
20代のころは、神谷さんがなぜあそこで全生園に行った時に、「この人たちのために働きたい」と飛躍しちゃったのか、不思議でしょうがなかった。
わたしはそのころ母方の祖母が入院していた老人病院に週一回くらいお見舞いに行ってたんだけど、
「じゃあ、ここで自分が働きたいって思うか?」
と自問自答して、そういう気持ちにはならなかったものね。何かきっと重大なきっかけがあったに違いない、それはなんだろう、とよく考えました。
それが初恋の人の死だったわけですが、そういう事情がわかってきても、神谷さんの飛躍はかなり特異なものだと思いますね、やっぱり。
コメント by ぱぐ@管理人 — 2007/10/25 木曜日 @ 23:47:34