2007/10/8 月曜日

父から仕込まれたこと

Filed under: 散文・文章 — ぱぐ @ 8:59:39

このブログをよく読んでおられる方は、わたしのファザコン振りがよくわかる(母がきらいだということも)と思うのですが、あまりに単純な傾向なので、なんだかねえという気がしないでもない。

うんと小さいときから、顔も性格も父にそっくりだといわれていた。半分信州人だということはかなり意識しているし、偏屈で無愛想で人と話すよりも本が好きというのはそっくりそのまま父譲りです。母も本はいろいろ読むけど、どっちかというと人のうわさ話が好きな方で、週刊新潮が愛読誌だった。明るいうわさ話より悪口系ですね。

わたしは団地育ち(高一まで。そのあとはマンション)なのだけど、父は革のグローブと木製のバット、それに革製のサッカーボールを買って、わたしたち姉弟に団地の砂利の広場でキャッチボールとバッティング、ボール蹴りを仕込んだ。わたしがいわゆる「女の子投げ」じゃない投げ方ができるのはその仕込みのおかげ(?)なんですが、教え方は厳しくてすぐ怒鳴るから、楽しくなかった。

何事によらず父の教え方はみんなそうで、中学生のころ、枕草子を講読してくれたときも、こっちが詰まるとすぐ馬鹿だの間抜けだの言うから、貴重な機会だとは思ったけど、あとから自分で読み通した方が身に付いている。
物の教え方って大事だと思う。キビシイばかりだといやになるから。

大学生になって向田邦子の『父の詫び状』(文春文庫)を読みはじめたとき、おやこれは知っている父親像だぞ、というのがまず最初の印象でしたね。

どうみても「父の娘」ですよね。自分ではメンタリティの8割方が男で、女が2割くらい、と思っているのだけど、どうでせう。結婚生活で精神面が大きく変わったのでその影響は大きいと思うけど。

2件のコメント

  1. 結婚生活って影響大きいね。
    それまでは実家で育った環境でしか価値観の基準が生まれなかったのに
    全く違う環境で育った人と毎日を送ることで
    お互いに新しい価値観が生まれてくるから。

    一緒に暮らす人は共感できるところがないといけないけど
    全く一緒では偏るし全く違っては窮屈で仕方ない。

    そして子ども達はそんな私達に感覚を刷り込まれてしまうんだ。

    コメント by がな — 2007/10/8 月曜日 @ 9:23:56

  2. >がな

    いろいろ恋愛経験のある人は、そこで「今までの自分」を試される機会があったんだと思うんだけど、わたしはほんのわずかなので、結婚したことで大きく変わったという実感があります。

    竹内まりやの「家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」に、

    「好きな歌違う 選ぶ絵も違う でもいちばん私を知っている♪」
    というのがあるんだけど、これが結婚生活をうまくするためのこつのような気がする。お互いにこう思えればね。

    あと何年かすると反抗期でしょう。そのときには親の価値観が試されるよ。自分もたどった道だ、と思えばわたしの母のようなこどもっぽい反応をしなくて済むと思うんだけど、いかが。

    コメント by ぱぐ@管理人 — 2007/10/8 月曜日 @ 10:54:56

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