2007/9/16 日曜日

追悼文の至芸

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:55:42

過去の人物のことを調べるには、その人の言動も要るのだけど、まわりからみたそのひと、というのも大事である。

だめな追悼文だと自分のことばかり書いて、肝心の相手のことが出てこない。きみはその人を観察してなかったんですか?と訊きたくなってしまう。

20代のころ、岩波書店の会長で戦前岩波茂雄が存命のころは編集者としても辣腕をふるった小林勇(1903-1981)のエッセイ集『人はさびしき』(文藝春秋、1973)を父の書棚から発見して愛読したのだけど(どうも若い娘が愛読するものじゃありませんね(笑)、みんな読みたくなってついには筑摩から出た文集まで買った。

この文集の刊行に合わせて『回想 小林勇』(筑摩書房、1983)という追悼文集が出た。編集者として文人や学者、経営に携わるようになってからは出版関係のあちこちともつきあいがあったので、各方面の人物が書いている。岩波映画の創立にも関係したのでそちらの方も。

その中でいちばんおもしろかったのは、野上弥生子である。調べてみるとこのとき弥生子満98歳!亡くなる前の日までみずみずしい小説を書いていた人らしく、この回想文(「底前の牡丹花」)もばっちり神経の通った文章です。

ギリシア神話のアイネイアスがたどり着いた黄泉の国の話から、小林が漱石周辺のひとびとに巡り会う話になる。きのうも書いたように弥生子は漱石に原稿を見てもらって作家としてのスタートを切ったのだし、岩波茂雄は『こころ』を出版することによって古本屋から出版業に転身したのだった。

小林がこやかましい岩波グループの人々から弥生子のお迎えを命じられる。
「……ただひそかに舌打ちしたいのは、それに課せられた面倒くさいこと、もうやつて来てよいはずの、もしか迷ひ子になってゐるかもしれない老婆の一人を連れて来い、の任務である。もとより懇意にはしてゐたものの苦手の方で、むしろ避けたいくらゐだ。……」


小林と弥生子の間柄を、自分を客観的に見る視点から書いているこのユーモア。
わたしはこのころまだ弥生子の日記のことなんか知らなかったと思うのだけど、この文章の芸には感嘆しましたね。

前に野上弥生子の感想文コンクールというのがあって、我孫子にいるころ一度応募してみたのだけど、通例に従って小説『森』を取り上げたのは失敗だった。この追悼文から弥生子の思考方法を探ってみる方が、なんぼかおもしろい感想文が書けたにちがいない。

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