よそ様でくつろぐ?
思春期以降の実家は、
ヒステリーを起こす母と、
じゃまされたくない父が短気を起こす、
という、息の詰まる雰囲気だったので、
「帰りたくない症候群」
だったことは何度も書いている。
その代償はよそに行った時に現れた。
親友の実家に遊びに行ったとき、
お母さんの前でくつろぎすぎて
彼女があとで眉をひそめた(^^;)
とか、
本屋か図書館に逃げ込む
(読書は逃避の手段でもあったのです)
とか、
帰り道が一緒だった卓球部の友達を
いつまでも引き留めておしゃべりした
とか、
職場の大先輩と帰り道別れるところで
立ち話を何時間もする
とか、
まぁいろいろありました。
結婚してからは、
お互いに性格わかって
余計なことを言わないようにしているから
まったりしているはずなのに、
今でもどうやら
「よそ様でくつろぐ性分」
が残っているらしい。
リアルでおしゃべりかどうか
自分ではよくわかりませんが、
文字でのおしゃべりは大好きです。
で、話ができそうな相手を見つけると、
ついつい長居してしまいます。
相手がおもしろがってくれると
質問魔のサガも発揮しちゃう。
ある人(男性)の掲示板で
一対一の長話したことがあるし、
今はvivajijiさんのコメント欄を
一対一のおしゃべりに費やしてます。
おしゃべりを愉しむには、
好みがはっきりしているひとの方が面白い。
女性でパッと反応のいい
おしゃべりができる相手って、
(しかもいろんな話題ができる)
リアルでもそういませんので、
つい嬉しくなって、入り浸ってます(笑)。
性格や好みは真逆と言っていいのに、
いつもお相手いただき、
ありがとうございます>vivajijiさん
猫にじゃれついてる犬みたいな気もするな……(笑)
そういえば、以前しょっちゅう電話していた
友達も猫系でした。
なにか惹かれるものがあるのかも知れません(笑)。
きのうのvivajijiさんのコメント:
>語ったわりに書いたわりにしゃべったわりに
>思うような答えが得られないでずっときたので
>これでもかこれでもかって長くなるのでは。
>当たらずとも遠からずでしょ?
その通りでございます(笑)。
ひとを説得するより、
まず自分が納得したい、
ということらしいです。
特に自分のブログで長々と書いているのは。
ノートの日記時代からやってるんですから、
思えば長いひとりごとです(笑)。
一回の書き込みが長くて、
しかも改行なしぎゅーぎゅー詰めのは、
(よくあるんだ、これが。ブログの記事なんかでも)
内容に関係なく、
(ご立派な内容をそういう器に盛る人もいます)
見ていてうんざりするんですが、
自分がそんな風になってやしないか、
気に掛けつつ、
でもやっぱり長話している。
自意識過剰?(笑)
A型ならでは?(笑)
おはようございます。
拙宅のご紹介ありがとうございます。
歯噛みしたくなるような不条理感や
ヒリヒリするような知識欲と
「こんな世の中、つまんねぇ」という
厭世観等がごちゃごちゃない混ぜに
なっていた青い頃。(今も残滓あり)
最近は気力体力減退に加えズルさも賛同、
固有名詞に「たかが・・・」を
くっつけて己れをうっちゃってしまう
汚い手でお茶を濁す日々もありですが(笑)
物書きの書きたいという意欲の根本は
この不条理であったり厭世観や、そして
未知なものをそのままに捨ておけないてはならじと
いうまさにその「欲」なのではないかと。
優れた先人たちの書き記した書物には
教えられることがたくさん。
やはり、私は、文字、だと思います。
ただ
読んだ当座から忘れてしまうような
危機感に苛まされることもままありましたが
いつのまにかそれらは私の血となり肉と
なっているような気がします。
贅沢な話しですが、本が多過ぎるわりに
読みたい本が少ないのが私の今の現状。
でも、読んでいるのです~。(^ ^)
~よそさまではくつろげないvivajijiより。
コメント by vivajiji — 2010/3/18 木曜日 @ 8:54:44
>vivajijiさん
おはようございます。
朝から
読み応えのある(笑)コメント、ありがとうございます。
「欲」、そうですね。
実家のいたたまれない雰囲気からやっと逃れられた
結婚当初、さすがのわたしも日記に向かって
書く言葉が出てこなくて、呆然としました。
新しい生活に慣れるのが精一杯、という状況だった
せいもあるでしょうけど。
若いころから同時代ものに手が伸びないんですが、
図書館で借りてきた、
富岡多恵子が書いた秋田實(エンタツ・アチャコの
台本書きだったそうですね)の伝記を読み始めました。
渋すぎるかな(笑)
コメント by pug — 2010/3/18 木曜日 @ 11:37:11