2006/4/5 水曜日

最近読んだ本と読みかけの本

Filed under: 未分類 — pug @ 20:22:39

先日の人間ドックの待ち時間用に『司馬遼太郎が考えたこと4 エッセイ1968.9~1970.2』(新潮文庫)を持っていった。

仕事から帰ってきてごはん作って食べて、さて本でも、と思ってもなかなか読み進められるものではない。トトロが見ているテレビ番組はバラエティが多く、大音量でかけるので、うるさくてその部屋で本を読むのは至難の業。前も書いたけど、人の話し声がすると耳がダンボになっちゃって目の前の本に集中できないのだ。

いちばん集中して読めるのは、やっぱり電車かなー。バスだと揺れ具合が変わって気分が悪くなることがあるので、動き出したら読まない。
あとは、おふろ。リラックスできるし、邪魔は入らない。重い本は疲れるからパスだけど。均一コーナーで買った文庫だったりすれば(いや定価で買った文庫でもいいんだけど)、多少濡れたってどうってことない。

というわけで、こんな本を。

『司馬遼太郎が考えたこと4 エッセイ1968.9~1970.2』(新潮文庫)
司馬遼太郎に関する本はけっこう見かけるけど、あの文章に惹かれて読んできた者としては、なんでもいいから本人が書いた物が読めるのが喜び。
「白石と松陰の場合-学問のすすめ」より
この両人に共通しているのは知的好奇心の強烈さと、観察力の的確さと、思考力の柔軟さであり、その結果として文章表現が実に明晰であったということである。さらにいえることは、両人とも学問をうけ入れて自分のなかで育てるということについての良質な態度を、天性なのかどうか、みごとにもっていた。

塩野七生『男の肖像』(文春文庫)
『ローマ人の物語』の続きは「悪名高き皇帝たち」が待っているのだけど、人間ドックを待っているときにカリグラだとかネロとかのことを読む気にどうしてもなれなくて、ちょっと先延ばしにしている。
で、塩野七生の本でなんかないかと探したら、前から読みたかったこの本があったので、これにしたわけ。登場人物はペリクレス、アレクサンダー大王、大カトー、ユリウス・カエサル、北条時宗、織田信長、千利休、西郷隆盛、ナポレオン、フランツ・ヨーゼフ一世、毛沢東、コシモ・デ・メディチ、マーカス・アグリッパ、チャーチルの14人。カエサルなどお得意の人物をどう描いているのか知りたかったのだが、おもしろかったのは信長と利休。
信長のやった最大の贈り物は「狂信の徒の皆殺し」だということ、秀吉が信長に「愛情と言い換えてもよい官能的なまでの感情」を抱いていたのじゃないか、という見方。
利休は信長存命中は茶頭の第一人者ではなく、同時に秀吉もひらだった。自分の祖国を滅ぼし茶頭を手足のようにしか扱わない信長にM的に惚れた利休が、本能寺の変を境に芸術家ではなくなっていく無理。第一人者にさせてくれたが自信のない扱いしかできない秀吉に、死を命じられるというつまらない生涯の終わりを迎える。野上弥生子の『秀吉と利休』(新潮文庫)のような権力者に対する芸術家の抵抗、と見ないところが新鮮でおもしろかった。

『司馬遼太郎が考えたこと5 エッセイ1970.2~1972.4』(新潮文庫)
「無題(アンケート回答)」という中に、「1960年くらいに飢えからの解放という日本には有史以来の大変化があった」とあって、
とりあえず自殺者がふえるだろう。飢餓との戦いがあったからこそ、人間は生きつづけてきた。この条件がなくなったいま、生きることへの執着はかなり希薄になっていくだろう。一九七〇年代のあいだにこの難題をわれわれは切り抜けられるだろうか。
この回答時点から35年くらい経ったわけだけど、切り抜けられるどころか、まずます混迷の度が増してませんか?年間3万人を超える自殺者って、ちょっとおかしいだろう。川崎の例の子ども殺しの犯人も何かへんなものを抱えてる気がするし。

中村妙子の二冊の本
<A>『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社、1986)→キリスト教関係の版元で、現在品切のようです。古本屋でもなかなか見かけません。大きな図書館で探すのがいちばんいいかも。
<B>鏡の中のクリスティー』(早川書房、1991)
クリスティーについてちょっとまとまったことを書いてみようと思って、久しぶりに読み返している。

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