いちばん好きな司馬遼太郎の小説
きのうは「血なまぐさいことは大嫌い」と書きましたが、実は小説ならばけっこう血なまぐさいのを好んで読んできた。
司馬遼太郎でいちばん好きなのは『燃えよ剣』(新潮文庫)。
中学生以来の一番の愛読書じゃないかなー。何百回となく読んでると思います。
幕末のテロリスト集団、新撰組の副長・土方歳三が主人公。
中二の夏休み、そのころ毎年行っていた房総の白浜行きの車中で読むために、東京駅の近辺で買った。
舞台の最初は多摩で、大國魂神社とか自分が住んでる調布の布田<ふだ>だとか分倍河原だとかが出てくるんで、おお、と思った。
国語の時間に自分の好きな小説(だったか、詩とかも含んで文学作品だったか)についてみんなの前で説明せよ、と言われてこれを取り上げたんだけど、どうもむつかしい。
新撰組のやったことの意義なんてそのころ説明できる言葉を持ってなかった。小説の筋として、幾人かの女性との出逢いが歳三の運命を変えていくというところがあるんだけど、しどろもどろになりながらそこを話した気がする。
『燃えよ剣』にはまったのと、前にも書いた教科書に載っていた「無名の人」という文章から、たぶんいろんな司馬遼太郎を読みはじめたのだと思う。
『関ヶ原』(新潮文庫)は父が持っていた文庫本を勝手にもらった。『竜馬がゆく』(文春文庫)
は、大学生になってから。その後は古本屋で文庫本を探して入手し、刊行されたものはほとんどすべて読んだ。
で、そうやって熱を入れて読んでいたので、文章の理想像が「司馬遼太郎ふう」であることらしいのですね、わたしの場合。文章力を上げるためには好きなものを書き写すのがいい、と何かで読んで、原稿用紙に燃えよ剣の一部分を書き写してみたこともある。
こんなところを写してます↓。
「おれも、来世もし、うまれかわるとすれば、こんなあくのつよい性分でなく、おまえのような人間になって出てきたいよ」
「さあ、どっちが幸福か。……」
沖田は、歳三から眼をそらし、
「わかりませんよ。もってうまれた自分の性分で精一ぱいに生きるほか、人間、仕方がないのではないでしょうか」
と、いった。
(下巻p.73、「大暗転」より)
十代から二十代にかけて、わたしの読書傾向はかなり分裂していた。
枕草子や大鏡などの平安朝の古典に惹かれつつ(学生時代は国文専攻で、平家物語を卒論の題材にした)、近代文学にはなんだかなじめなくて(漱石は好きで大部分読んだけど)、愛読書は司馬遼太郎なのだから、当然だ。
同じような好みの人なんて周りにはいなくて、古典は中高の恩師や学生時代の指導教官向け、司馬遼太郎はおぢさん向け(笑)、と話題を振り分けていたような。今は知らないけど、あのころ若い女で司馬遼太郎の愛読者というのは珍しかったんだと思う。
もう一つ、翻訳物はアガサ・クリスティーだった。
文学少女青年がはまるようなものは読んでませんね。
えーと、結論がまとめにくくなったが、まあ、へんな読書傾向だったということですね。
土方歳三は今でも好きなんだけど、生まれ在所の日野に行く機会はなんか逃してしまってます。戦死した函館の五稜郭には行ったけど。一緒に旅行した親友がわたしの司馬遼太郎歴、歳三熱を知ってるので、感慨にふけってるのを見て苦笑いしていた。