2006/3/21 火曜日

かねてよりの疑問(日本史編)

Filed under: 散文・文章 — pug @ 20:35:56

国文か日本史か専攻を迷ったくらいだし、文学よりは歴史の本を読む方が好きだ。

というわけで、かねてよりの疑問、日本史編

*蘇我氏と天皇家の力関係のほんとのところ。
開明的、とされていてかなり力もあったらしい蘇我氏がクーデター(大化の改新)であっけなくつぶれてしまうのが不思議。

*聖徳太子ってなんなの?
天皇じゃないのに、なんで信仰の対象なんだろう?10人の話をいっぺんに聴けたとかすごいという話がみんな伝説っぽいのが不思議だ。実態としてはどんな人だったの?

*天智系と天武系の争い。
天智の娘で天武の后だった持統が自分の息子の系統に皇位を伝えようとして、壬申の乱(天智の息子の大友が天武に負ける)が起こり、この両方の争いがずーーっと続いて、最後は天武の孫の孫で、子孫を残さず未婚だった孝謙(女性)で天武系が終わる。天武系のつぶし合いがあったから、継ぐ者がいなくなったという側面もあるんだけど、血みどろのおどろおどろしい場面が多い。
孝謙の後は天智の孫に当たる光仁になるんですが、光仁の息子の桓武の時にも、いったん皇太子だったのが廃止されたり、まだまだ身内の争いが続きます。
この争いの本質的なところはなに?

*足利義満はなんで天皇の位を狙ったの?松岡正剛が今谷明の『室町の王権』(中公新書)を紹介してるので、読んでみたいんだけど、まだ機会がない。今谷の本では『信長と天皇』(講談社現代新書)が、おもしろかった。

*南北朝の争いは北朝が勝つわけだけど、南朝の子孫はどうなったの?
イギリスのジャコバイトみたいに、いつまでも自分の優位を主張したりそれを応援する勢力はなかったの?
後南朝というものがあるらしい。応仁の乱まで、反室町幕府勢力にかつがれていたそうです。(2006.3.25記)

*明智光秀は何で織田信長を殺さなきゃいけなかったの?
精神病理的に考える方法もあるみたいだし、そうかなと思ったりもするんだけど、やっぱりあそこで突如ってのがへんだ。

*徳川幕府は何で鎖国にしたのか?鎖国を200年も続けちゃったわけは?もし途中で開国してたらどうなったんだろう?

*二・二六事件って結局なんだったんだろう?
人殺しとか自殺とか血なまぐさいことは大嫌い(今日のニュースで一番いやだったのは、気仙沼で妻ととその母親が殺されて埋められてた事件で容疑者だった夫が不忍池で水死自殺したらしいこと。なんで不忍池なの!)。
だからテロもきらいなんだけど、昭和初期のエログロ続きの中で特にいやのが二・二六事件で、そのいやなわけを知りたいのだった。勝てっこない戦争を始めちゃったことにも何かつながる事件だと思うし。

あと、これは歴史より文学の問題かもしれないんだけど、
*近代文学の人で、自殺する人がずいぶん多いんだけど、なんでなの?
北村透谷、有島武郎、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫。
そのあとは現代に入ってる気がするのでこの5人で代表させておく。
江戸時代以前には考えられないことだし、男ばかり挙げたけど、女でもいるかもしれない。
二十代から疑問に思ってました。

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