2006/2/12 日曜日

わんわん鳴けば犬も同然な奴

Filed under: 未分類 — pug @ 12:00:39

『坊っちゃん』の啖呵がおもしろい。

このあいだ中島敦の『弟子』を読み返して楽しかったので、ああいう快感が得られる小説をもうひとつ、ということで夏目漱石の『坊っちゃん』を読み返した。

中学の国語の教科書に第一章が出てたんだよね。新しい教科書をもらうと一通り読んでみて、おもしろそうなのは続きを探したり、その作者の別のものを探して読んだ。

畑正憲の『ムツゴロウの青春記』とか竹西寛子とか吉屋信子のエッセイを覚えてる。

そうそう、司馬遼太郎のエッセイもあって、暗殺未遂に遭った井上馨(当時は聞多=もんた、と名乗っていた)を所郁太郎という青年が畳針かなんかで縫って救う話。
あとで司馬遼太郎をあれこれ読みあさったとき、その文章がエッセイ集のどこにも収録されてなかった。エッセイ集の集成として出ている『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮文庫)に、やっと見つけて出典を見たら教科書用の書き下ろしだった。
文章に再会するのは人に再会するのとまた違った感慨がある。本屋で思わずため息をついてしまった。
(立ち読みで何巻目か確認できてません。できたらリンクします)

追記:『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮文庫)〈8〉エッセイ 1974.10-1976.9の「無名の人」1975年1月15日、中学二年の学校図書の教科書でした。

で、『坊っちゃん』の話ですが、江戸っ子の坊っちゃんが切る啖呵がおもしろいんだよね。
”山嵐”というあだ名の会津出身の同僚に向かって、”赤シャツ”こと教頭の悪口を言う。

「美しい顔をして人を陥れる様なハイカラ野郎は延岡には居らないから……と君は云ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
「じゃなんと云うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師<やし>の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」
「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変沢山知ってる。それで演舌が出来ないのは不思議だ」
「なにこれは喧嘩のときに使おうと思って、用心の為に取って置く言葉さ。演舌となっちゃ、こうは出ない」
「そうかな、然しぺらぺら出るぜ。もう一遍やってみ給え」
「何遍でもやるさいいか。――ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の……」

この「わんわん鳴けば犬も同然な奴」がすっかり気に入ったので、喧嘩したときに使ってやろうと思ってたんだが、まだ使う機会がない。喧嘩じゃないときにトトロに言ったら、あんまり反応が無くてつまらなかった。

国語の時間に文章の暗誦をやらされたので平家物語の冒頭とか今でも言える。
トトロも高校の時におっかない先生に覚えさせられたので、
源氏物語の「いずれのおおんときにか、……」
とか
方丈記の「行く川の流れは絶えずして、……」
とか言えるそうである。

『坊っちゃん』も云ってごらん、というと、
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」
とちゃんと出てきた(笑)。

この書き出しがうまいよね。一人称でまず自分の性格を単刀直入に云っちゃうんだから。このあとエピソードの積み重ねでしょう。書くのも楽しかったと思うな。

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