2014/1/22 水曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民文化会館(8)

日野原重明氏の講演の続き。
その3.「生き方の選択」

*<ただ生きるだけでなく、よりよく生きることを何より大切にしなくてはいけない>(ソクラテス)

*日野原重明よく生きるための提言
1.生き方を変える。 
 動物は走り方を変えることはできない。鳥は飛び方を変えることはできない。人間は生き方を変えることができる。
2.出会いから学ぶ
3.老いを創める
 マルティン・ブーバー「年老いるということは、もし人が始めるということの真の意義を忘れていなければ素晴らしいことである」
(ぱぐ注:マルティン・ブーバーはオーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。1878 – 1965)
4.自分の運命をデザインする
 アンリ・ベルグソンのことばに、「人間というものは自分の運命を自分で作っていけるものだということをなかなか悟れないものである」というのがある。(ぱぐ注:アンリ・ベルグソンはフランスの哲学者。1859-1941)

自分の夢はまだある。今度200くらいの俳句を集めた句集を出す。
来月(ぱぐ注:2014年2月)、三越で書道展を開催する。オークションでの売り上げは「新老人の会」に寄付する。

以上で日野原重明氏の講演は終わり。
日野原氏の話を聴きに来た人もたくさんいたようで、帰る人が目立った。

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民文化会館(7)

Filed under: 神谷美恵子,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 15:43:18

日野原重明氏の講演の続き。
さっきまでのが項目の1。

項目2は「神谷さんから得たこと」
*生きがいについて
 人間が最も生きがいを感じるのは自分がしたいと思うことと義務が一致した時
 (ぱぐ注:たぶん『生きがいについて』の中にこのことばが出てくると思うのですが、該当箇所を見つけていません。わかったら加筆します)

*無用者となること(『こころの旅』より)
 ぱぐ注:みすず書房神谷美恵子コレクション版『こころの旅』p.148→<社会的に無用者となった、という意識は否応なしに老化した自己の全体像をこころの中に浮きぼりにする>

*自分は2000年に「新老人の会」を立ち上げた。この会のモットーはピーター・フランケル(ぱぐ注:ハンガリー出身の数学者・大道芸人)の次の言葉である。
 1.愛し愛されること
 2.創めること
 3.耐えること

*死について 
 残りの日日について神谷さんが書いた詩のこと
 ぱぐ注:『神谷美恵子の世界』(みすず書房、2004)に「病床の詩」として「順めぐり」「ひとの心がわかるとき」「ごきげんうかがい」「同志」の4つが納められている。p.150-153

*望ましい人生の結末
 マルクス・アウレリウスの言葉「つかの間、自然の摂理に身を委ね、段々に旅の終わりを迎えるがよい、オリーブの実が熟して落ちる時、支え続けた枝を祝し、いのちを受けた幹に感謝をするように」
日野原さん宅にオリーブの木がある。オリーブオイルを絞って毎朝オレンジジュースに入れて飲んでいる。あと長生きにはブロッコリーがよい。

神谷さんの直筆原稿を持っている。雑誌「蛍雪時代」に寄せたもの。神谷さんが58歳の時に書いた。旺文社の編集者から贈られた。
ぱぐ注:「学生さまざま」1972年12月。『神谷美恵子著作集6』「存在の重み」エッセイ集2、みすず書房、1981)所収。
学生からいろんな相談を受けることについて。
結びのことば→「ただ進学するために進学するというのは禍(わざわい)のもとだから、自分はどこで何をしたいのか、ということをよく自問した上で進路を決めて欲しい。大学へ行くのならば、ただ有名校だからとか、一流校だからというだけで決めないで、その内容はどうか、果たして自分(この二文字に傍点)に適しているか、をよく考えてきめて欲しい。」

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民文化会館(6)

日野原氏の履歴の続き。

1970=昭和45年、よど号ハイジャック事件に遭う。もしかしたらあの時殺されていたかもしれない。
 (ぱぐ注:過激な左翼の赤軍派が飛行機を乗っ取って平壌に向かえ、と要求した。韓国の空港で山村運輸政務次官が身代わりとなり乗客を解放。その後飛行機は北朝鮮に向かった)
アメリカのエモリー大学に留学。ここはコカ・コーラの社長がお金を出して作ったところ(ぱぐ注:米国南部ジョージア州アトランタにある。1836年設立のメソジスト系私立大学。米国における疫学研究の拠点。コカコーラはアトランタに本社があるのでゆかりが深いのであろう)。
1973=昭和48年、日野原ライフプランニングセンターを設立。
1979=昭和54年、聖路加国際病院院長に就任(神谷美恵子はこの年10月に65歳で逝去)。
1995=平成7年、地下鉄サリン事件の時、築地駅でも被害者が多数出たので、640名の急患を聖路加国際病院で受け入れ。

日野原氏とハンセン病の関わり。

京都帝国大学在学中に、講師だった小笠原登医師からハンセン病のことを聞いた(ぱぐ注:小笠原登1888-1970は強制隔離・断種に反対した医師で、その考えのため、医師の学会から締め出された)。
YMCAの寮にいた時に、日本基督教青年会医科連盟(昭和14=1939年発足)に関わった。この連盟は満州での地域医療に携わったことがある。
1949=昭和24年、日本キリスト者医科連盟設立。ここは台湾でハンセン病の治療に携わった医師がいる。
1976=昭和51年、笹川記念保健協力財団でハンセン病に関する事業を始める。

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民文化会館(5)

最初に長島愛生園園長・藤田邦雄氏から挨拶があったのだが、わたしは開演時間を過ぎてから会場に着いたので、詳細はわからず。
神谷美恵子と長島愛生園の関わりについて話したものと思われる。

なお、今回の集いの主催者は長島愛生園と長濤会。
共催が長島愛生園入所者自治会、長島愛生園歴史館、笹川記念保健協力財団、岡山県、岡山市、瀬戸内市。
後援がふれあい福祉協会、岡山県教育委員会、岡山市教育委員会、瀬戸内市教育委員会、岡山県医師会、岡山県看護協会、ハンセンボランティア「ゆいの会」。
協力が山陽女子高等学校(たぶん司会を務めた女性二人。放送部ではないかと思う)。

14:00~15:00 講演「人生の生き方の選択」
聖路加国際メディカルセンター理事長・笹川記念保険協力財団名誉会長 日野原重明

昨年10月4日に102歳になったとのこと。神谷美恵子が生誕100年(亡くなったのは65歳)なので、さらに年上で健在と言うことになる(!)。
杖も突かずにすたすた出てきて一時間立ったまま、パワーポイントを使って講演をしたので聴衆が度肝を抜かれていました(笑)。
パワーポイントの操作は誰かにやってもらったし、背中が曲がっているのは年齢的にやむを得ないでしょうが、これが(噂の日野原先生か!)と思いました。

実は日野原さんは昨年6月東京都東村山市にあるハンセン病療養所全生園内の国立ハンセン病資料館でも講演しています。ハンセン病資料館開館20周年記念です。わたしはそれをやったのをつい最近知って愕然としたのですが、その時のお題は「ハンセン病の患者に生涯を捧げた神谷美恵子医師の生き方」です。今回の講演はそれに重なる部分が多いのではないかと思います。

日野原さんが現在名誉会長を務める笹川記念保険協力財団はハンセン病の撲滅と病気について一般市民に広く理解してもらう取り組みをしています。
同時代の同じ医師であるけれども、神谷美恵子に直接逢ったことは一度もない。
ただ、神谷美恵子が訳した本の影響は受けた。

GHQが聖路加病院を接収した時、米軍の野戦病院として使われたが、聖路加の人は中に入ることを許されなかった。メディカルライブラリーのパスが欲しいと申し出たら、午後だけ通ってもいいということになった。ウィリアム・オスラー(ぱぐ注:1849年- 1919年、カナダの臨床医師、内科医)の本の中に「医師が読むべき10冊の本」、というのがあり、その中にマルクス・アウレリウス『自省録』があった。(ぱぐ注:マルクス・アウレリウスはローマ帝国の皇帝。五賢帝の一人。若いころ哲学を学んだので哲人皇帝といわれる。『自省録』は多忙な公的生活の中で自分を振り返って書き残したもの)
読みたいと思っていた時に、神谷さんが翻訳を出したので、さっそく読み大きな影響を受けた(ぱぐ注:今は岩波文庫に神谷美恵子訳が入っています)。

同時代人なので、自分と神谷美恵子の履歴を振り返る(パワーポイントで両者の経歴事績を表にして示す)。
日野原氏は山口県山口市出身の長州人。七歳で神戸の小学校に入学→腎臓病で休学→関西学院中学校入学→京都の第三高等学校、通称三高入学(ぱぐ注:岡山には第六高等学校、通称六高があった。漱石の弟子の一人で作家の内田百閒は岡山市出身で六高を出ている。大学時代はドイツ語ドイツ文学専攻)→京都帝国大学医学部に学ぶ。在学中に結核にかかって広島で療養(ぱぐ注:お父さんが広島女学院の院長だった。両親共にクリスチャン。お父さんはメソジスト派の牧師。日野原氏もクリスチャン)。

影響を受けたウィリアム・オスラーの本は、後に仁木久恵さんさんと共に翻訳をした→『平静の心―オスラー博士講演集』(医学書院)。

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(4)

集いの概要について(敬称略)。

13:20 会場、14:00開演 場所は岡山県岡山市の岡山市民会館大ホール。
一般で応募当選したのが1500名(同行者二名まで)、他に招待者もあった。1600名くらい集まったらしい。

14:00~15:00 講演「人生の生き方の選択」
聖路加国際メディカルセンター理事長・笹川記念保険協力財団名誉会長 日野原重明
(ぱぐ注:日野原氏は内科医。循環器、つまり心臓・血管などが専門)

15:00~15:40 鼎談(ぱぐ注:ていだん。三人で話をすること)「神谷美恵子を語る~医師として、母として~」
順天堂大学教授 樋野興夫(ひの・おきお)、長島愛生園入所者 石田雅男、神谷美恵子次男・リコーダー奏者 神谷徹

15分の休憩を挟んで
15:55~16:40 コンサート「バロック音楽のひととき」
演奏:テレマン・アンサンブル 指揮:延原武春 独奏:神谷徹/リコーダー 出口かよ子/フルート・リコーダー 浅井咲乃/ヴァイオリン

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