和顔愛語と一期一会
今回の仕事が始まるころ、
ホームページビルダーの予習も兼ねて更新した
「ぱぐのだらだらさろん」
の「作者について」にはいろんなことが書いてありますが、
<好きなことば>には
「天衣無縫、和顔愛語、一期一会」
と四字熟語が3つ並んでいます。
「天衣無縫」はこのブログの名前でもあるわけですが、
その意味は先日書きましたので、残りの2つについて。
「和顔愛語」
ニッコク(日本国語大辞典)で調べますと、
「和顔」と「愛語」はそれぞれ別のことばだそうです。
わがん【和顔】[名]やわらいだ顔。柔和な顔。温顔。わげん。
引用は2つあり、ひとつは「小右記(しょうゆうき)」から。
藤原道長と同時代の藤原実資(さねすけ)という貴族の日記です。
もうひとつは曹植「洛神賦」。
ウィキペディアによると、中国後漢から三国時代魏の皇族で、
李白・杜甫が出る前には代表的な詩人と思われていた人なんだそうです。
当然漢語由来のことばでしょうね。
ちなみに平安時代の男性貴族の日記は漢文で書かれています。
仮名で書かれている紀貫之の「土佐日記」は、
女になったつもりで書いたものなので当時としては画期的です。
あいご【愛語】[名]
(梵 priya-samgrahaの意訳。
愛語摂(あいごしょう)、能摂方便、愛言などとも訳す)
仏語。四摂法(ししょうぼう)の一つ。
菩薩が人々を導き、その心に親愛の情を抱かせるために
優しい言葉をかけてやること。
引用は仏教関係らしいのが3つ。
鎌倉時代の禅僧・道元の「正法眼蔵」には
「愛語といふは衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし」
というのが載っているとか。
「衆生(しゅじょう)」というのは
仏教用語で仏の救済の対象となるものをいいます。
人間だけじゃなく、すべての生きとし生けるものですね。
「和顔愛語」はにこやかな顔で優しい言葉をかける、
ということになりますね。
なんでわたしがこんなむずかしいことばを知っているかというと、
母校の在学当時のN校長の座右の銘の1つ
だったからです。
同級生のみなさん、卒業文集かアルバムが
手元にあったら開いてみてください。
たしか書いてあるはずだから。
N校長は日本仏教史の研究者でもあって、
実家には母校が出したN校長の本があったので、
わたしは読んだことがあるんです。
自分も国文か日本史やるつもりだったから。
で、たしかにN先生は生徒たちには
「和顔愛語」を心がけていたなあ、
と思うんですね。特に小学生から挨拶されると
とてもうれしそうだった。
いまわたし学校で仕事してますが、
なかなか「和顔愛語」できないでいます。
雨が降ってバス代が~!なんて嘆いていると
ついこわい顔になっちゃう。
いけないいけない、と思ってなるべく
にこにこするように心がけています。
「一期一会」はお茶のことばです。
お茶室では一回一回の出逢いを大切に、
という心構えのことばなんですが、
それが一般的な人と人との出逢いを大事にする、
という意味に転じたもの。
わたしは人との出逢いで救われてきたことが多かったし、
仕事も思いがけない形で来ることが多いので、
出逢いを大事にしています。