文学少女でない「書く人」?
子どものころから
本ばかり読んでいて、
大学でも国文学を専攻したので、
「文学少女だったんでしょう」
と言われる。
わたしが文学少女?
……なんか違和感があるんですよね。
パソコン通信の歌会に
誘われたのがきっかけで、
それまで読んで感心していたばかりだった
短歌を作ることになり、
それが広がって、
いわゆる歌人、俳人、詩人
と言われる人たちと短期間だが
お付き合いすることになった。
……どうも肌合いがちがうのである。
わたしは根っから散文的な人間らしく、
夢見る感じの人とは話がしづらい。
その方々の「夢」の部分を
無残につついてしまうところがあるみたいだった。
「書く人」であることを疑ったことはないが、
美学を貫くために書くというタイプではないし、
何もないところからお話を作るというのも
向かないらしい。
編集学校の[破]=応用コースのカリキュラムのひとつに
「物語編集術」がある。
前回は早々に挫折して、
そこまでたどり着けなかった(^^;)。
応用コースが無事終了すれば
物語講座という専門コースが受けられる。
(ほかにもいろいろあるのですが
今は話の都合でこれだけ)
くやしいので、
受講料のめどをつけたら
体調がいい時をねらって(笑)
もう一度応用コースを
やり直すつもりでいる。
物語講座にも興味あり。
というわけで、
いずれ稚拙であっても
お話が書けるようになるのかもしれないけど、
とにかく今はお話をこしらえる能力はないみたい。
じゃあ、何を書くんですか、
ということになりますが、
日本の古典から好きなものを3つ挙げると、
*枕草子
*平家物語
*大鏡
になります。
枕草子は
あることを取りあげて
清少納言が自分の感覚で斬っていく部分
(「春はあけぼの」みたいな)と、
中宮定子を中心とした女房たち+殿上人のやりとりの部分
がありますが、
わたしがおもしろいのはやりとりの部分かな。
勤務先での女性職員同士のやりとりが、
枕草子みたいだと思いながら
ノートの日記にその様子を描写してたなんてことも。
平家物語では、
時代の流れの中で人の浮き沈みが語られていくところ、
それと
自分の死後、
勅撰集に入れてもらうために自作の歌を
師匠である公家の藤原俊成に託し、
都落ちする武将の平忠度、
いわゆる「忠度都落」の部分が
文章のよさもあって好きです。
大鏡は
人物の特徴をエピソードで伝えているところ。
例えば村上天皇の正妃が美しいライバル女性に
嫉妬するあまり、こっそりのぞいていた衝立の穴から
焼き物のかけらを投げ入れてしまった、といったような。
こうしてみると、「人」に興味があるみたいですね。
それも、
生身の人間のおもしろさ、関係性、言葉のやりとり
ということらしい。
ネット日記を始めた時は、
手近な材料から始めようと思って、
<家人を観察する記>
を中心に書いていました。
パソコン通信のオフ会で、
「トトロさん(当時の家人のあだ名。体型から)に
お逢いしたかったんですぅ」
と家人に握手を求める女の子もいて(^^)、
(ひまわりさん、どうしてるかな)
なかなか好評だったんですが、
「トトロさんは、ぱぐさんのお子さんなんですか?」
と某掲示板で質問してきた方があって、
さすがに考えちゃいました(笑)。
面識がない方で、
日記からだけの印象だったんでしょう。
作って書いてたわけじゃなく、
言動を観察してただけなんですけどねえ(笑)。
いまでもときどき書きます。
本人は取りあげられるのいやみたいですけど(笑)。