作品を生み出す人への興味
冬眠(笑)明けの安らかな気持のまま
毎日過ごせたら、
こんなにいいことはないのだけど、
現実はそうも言ってられない。
家人はわたしの性格をよく知っているけど、
言うべきことも言うので。
また説得されちゃうんだな、これが(笑)。
家の中を平和にしておくためも(?)、
自分で稼がねば、
やりたいことはできないのであった。
ふぅ。
で、
1年近く、読み書きを受け付けないという、
わたしとしては前代未聞の事態におちいった
力仕事の前職に懲りて、
アタマを使う仕事の面接に行った。
知っている分野であっても、
口頭で自分を売り込むのはニガテなんである。
あんな短い時間でわかるもんなのかなぁとも思う。
ともあれ、来週の結果待ち。
今月中になんとかする約束、果たせるだろうか……?
―☆―☆―
20代から作品そのものより、
「作品を生み出す人」
が気になって仕方なかったことを思い出した。
国文科の学生としてはかなり異例な視点で、
卒論を通すのに議論があったと聞いている。
駆け込みでなんとか形にした、というのもあるけど。
平家物語の源義仲説話に
材料を提供したと思われる人物の一人。
あの当時の、読む人書く人を代表するお坊さんで、
義仲の名前で出された公文書の書き手、
大夫房覚明(たいふぼうかくめい)について書いたのである。
軸がぶれない、と言うとかっこいいけど、
ずーっと同じようなことばかり考え、
書いている気がする。
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