2009/3/9 月曜日

遠くにいる人間同士が繋がるための手段

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 6:28:38

「手紙や電話と

旅行と

勉強することは

すべて、「遠くにいる人間同士が繋がるための手段」であって

星占いの世界では、同じことです。

そうした道具を使えば

時には時間の隔たりすら、越えることができます。」

石井ゆかり[やぎ座]2009/3/9-3/15の空模様。より。

 

7日で編集学校の初心者コース「守」の教室の雑談コーナー「勧学会」が閉鎖になった。これでいよいよ「守」がほんとうに終了。

来週から応用コース「破」が始まる。また新しい出逢いがあって、同級生ができる。どんな人と、どんなつながりができるのだろう。

 

読書や映画や美術品を観ることも「遠くにいる人間同士が繋がるための手段」かな。

たとえばわたしは小学校の図書館にあったアメリカの写真雑誌「LIFE」のベスト版を発見して以来、ロバート・キャパが好きなのだけど、彼はもう当時亡くなっていたわけだし、神谷美恵子だって「時を隔てた」人であるわけです。でもそういう人に親近感を感じてきたわけね。

 

あと大事なことは、繋がろうという気持がなかったら、いくら手段があったって繋がらない。

母との電話で、断絶ということについて考えた。若いころだったらああいう喧嘩になったらかなり凹んだけど、今はもう仕方ないのかな、と思っている。不愉快だから最低限のつながりしか持ちたいとは思わない。

母に人を受け入れようという気持がないから、いつも喧嘩になる。わたしだけじゃない、父のことだって受け入れてこなかった。それがまず家庭不和の元だったし、鈍感だった父の方にも責任はあるけど、話をしているようでぜんぜんかみ合ってなかったんだと思う、うちの両親は。もの心ついてから、母からは父のワルクチしか聴かされてない気がする。父はそういうこと言わなかったんですけどね。

弱ってきた父のワルクチを平気で言う神経って何なんだよ、まったく。「いたわり」とか「気遣い」というものをおばあちゃんから学ばなかったのか?注意されたこともあったはずなのに。

善人の方が厄介なんだよな。自分はいつも正しいと思いこんじゃってるから。ときどき振り返って、自分がいかに馬鹿か、自覚した方がいい。

……

<きのうの夕飯>

やっと自分で夕飯を作って食べる。

といっても家人は忙しいので先に食べてていいと言うから、一人で。

ふきの水煮をバナイ海老と煮たもの。家人は海老の煮物が好きじゃないというのでちょっとだけしか食べなかったので、残りはわたし。

かきの木茸とえのき茸のきのこ汁、キムチ、「10品目のサラダ」にピッコロトマト(赤と黄)を乗せたもの(コールスロードレッシング掛け)、玄米茶。冷凍ご飯用に3合炊いたので一杯だけ食べる。

デザートにフルーツミックス。

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