父方の従姉妹、Hさんと芝居を観る。
もともと、ASAHIネットからの知人であるLさんをお誘いしていたのだが、お子さんたちの卒業シーズンに重なるということでほかに候補を当たってください、と言われ、先月逢った時にHさんに訊いたら、行く!ということだったので。
お昼は芸術劇場近くの「TRAVEL CAFE」に飛び込む。セルフサービスでサンドイッチやパスタが食べられるところで、旅行情報が得られるらしくパンフレットなどもあったみたい。わたしは海老とアボガドのサンドイッチ(ホットドッグ用のパンに焼き目を付けてあるホットサンド)。セットでヨーグルトとブレンドコーヒー。Hさんはほかの種類のサンドイッチセット。
わたしの両親の話とか、劇団四季のこととか、以前コマ劇場で細川たかしの座長芝居+歌を聴いた話など。
「ドライビング・ミス・デイジー」はジェシカ・タンディとモーガン・フリーマンの主演で映画になっているそうだけど、わたしは未見。今度余裕ができたらレンタルビデオで観ようかしらん。ジェシカ・タンディが出た映画は「フライド・グリーン・トマト」と「迷子の大人たち」を観ている。
前にも書いたことがあるが、母校の学年主任のM先生(女性。国語)は演劇部の顧問で生徒向けの芝居を書く人でもあり、学年でよく新劇の芝居を見に行ったのだ。滝沢修主演の「炎の人」(今度、市村正親主演でやるそうですね)とか、水上勉の「ブンナよ木から下りてこい」とか、河内桃子が出た「ヴェニスの商人」とか、まあいろいろ。
母校は民芸と何かつながりがあるのかも知れない。「ドライビング・ミス・デイジー」が最初に芝居になった時、同窓会便りと一緒に公演案内が届いたから。その時は行けなかったので、再演の案内を無名塾からもらった今回はぜひ、と思い、勇んで申し込んだのである。
奈良岡朋子は「おしん」のナレーションが印象に残っているのだが、舞台を観たのは初めてかな。母校で観た芝居に民芸があれば出てたのかもしれないが……。背筋のピンとした人、というのが若いころからの印象で、頑固で勝ち気で口が減らず「煮ても焼いても食えない」と息子に評される元教師のユダヤ人女性はぴったり。
仲代はファザコンのわたしにとって父と同世代のかっこいい男であり、亡くなった奥さんの宮崎恭子(やすこ)と共に無名塾を立ち上げ運営してきた、同志みたいな関係がいいなあと思ってきた役者である。若いころの映画はリアルタイムでは観ていないけれど、「人間の條件」「用心棒」はスクリーンで観ることができた。テレビでは藤沢周平原作の「三屋清左衛門残日録」が好き。
舞台は3人だけの出演。奈良岡演ずるミス・デイジー(未亡人になると「ミス」になるのかしら?)、その息子ブーリー(ダブルキャストでこの日は無名塾の長森雅人。映画ではダン・エイクロイドなんですね。面白い配役だ)、ブーリーに雇われデイジーの運転手となるホーク(仲代)。
72歳のデイジーは派手な交通事故を起こして、心配した息子から運転手をあてがわれる。やってきたのは60歳の黒人運転手ホーク。「自分の面倒は自分で見る」が口癖のデイジーはなかなかホークが運転する車に乗ろうとしなかったが、七日目にやっと。「神様と同じで7日間かかりました」というホークの報告が茶目っ気があっていい。
去年観た「ドン・キホーテ」でも仲代の茶目っ気は随所に出ていて観客はずいぶん笑ったのだけど、今回は1948年から73年までのアメリカ南部アトランタという人種差別が残る土地で、ユダヤ人と黒人の話。ユダヤ人だって白人社会の中では差別的な扱いがあったはずだが、この辺の感覚が日本人にはわかりにくい。微妙にむずかしい面もあるのを仲代の茶目っ気が辛気くさいだけの芝居にさせなかった。脚本の力もあるのでしょうけど。
昔観た「炎の人」は、そりゃあとで聞けば滝沢修は名優だったかも知れないが、うっとおしい芝居で観るのがつらくなったところがあったので。わたしは基本真剣、でも笑えるところが1つでも2つでもある話が好きなのだ。
年を取った役者が年寄りを演じるってどんなものなのかなあと思ったが、奈良岡朋子が演じる72歳から97歳(!)までは、お見事、でした。25年の間にデイジーはホークを頼りにするようになり、気持が通じ合っていく。
奈良岡は失礼ながら80近いはずで(仲代より年上です)、カーテンコールで現れた時の身のこなしの軽さ。さっきまでのはああ、演技なんだ、と当たり前だが思いました。
カーテンコールでは赤い革ジャンの奈良岡、スタジアムジャンパーの仲代、いずれも似合っていた。
300を超える旅上演ののち、東京での凱旋公演の最終日。無事終えて、二人ともホッとしていたようです。お疲れさまでした。
仲代が9月から11月にかけて、能登演劇堂(七尾市)で若村麻由美と「マクベス」をやることになっている。無名塾のロングラン公演。ほんものの馬を使って舞台の裏が開く仕掛けを使うとのこと。観たいんだけど、行けるかなあ。夏に、ある旅の予定もあるのだけれど、先立つものが……
……
<きのうの夕飯>
前日買っておいた生餃子を焼く。家人は相変わらず仕事に追われていて、ゆっくり夕飯を一緒に食べながら話をすることができない。うちにはいるので合間にちょこちょこ話してますけどね。
家人が勤め人だったころは、片道ニ時間通勤で変な時間に夕飯を食べるし、疲れて話はできない。休みの日はバンドの練習か秋葉原へ行って楽器かパソコンを見るのが楽しみというのでくっついて行ったが、わたし的には大して面白くなく、パソコン通信で憂さを晴らす、みたいなことが続いていた。
やっとゆっくりできるようになったのは、家人が勤めを辞め、ぶらぶらしてる間に都内を一緒に歩いたり、家で仕事するようになってわたしは働きに出、夕飯だけは一緒に食べるという形にしてからじゃないだろうか。音楽を聴くのは趣味だから前からいろいろ一緒に行ってたけど。
一緒にメシを食べる、というのは大事なことなんだ、と最近また思ってます。食べることってけっこうその人の癖みたいなのが出ますからね。メシを食べながら話をするのは、ほかの人と付き合う時も大事にしてます。
ほかに白菜と厚揚げのみそ汁(赤だし)、だったんそば茶。