里見弴を読んでいた研修4日目
きのうは4日目。前日は10時にふとんに入った。ちょっと夢を見た気がするが、ほぼぐっすり眠ったと思う。
一本早めの電車に乗り、スターバックスでソーセージマフィンみたいなのを食べる。ちゃんと温めてくれるのだった。
里見弴(さとみ・とん、1888-1983)の『文章の話』(岩波文庫)を持って行った。「弴」という字は弓偏に亨保の改革の「亨」と書く。もしかしたら字が出ないかもしれません。化けていたらごめんなさい。「きょうほのかいかく」もATOKは覚えてなかったけど……
里見弴は有島武郎の弟に当たる。花柳小説(芸者や遊女などを題材にしたもの)が多いというが、読んだことはない。丸谷才一が批評の中で取り上げていたことがあった。花柳小説は永井荷風なんかも書いているが、荷風は好きな人がいてときどき取り上げた物を見かけるけど、里見弴の詳しい研究は進んでいないという。
有島が雑誌の女性記者と軽井沢の自分の別荘で心中したことは前にも書いたが、里見は「兄貴は女のことを知らないからああいうことになるんだ」と言ったという。
この『文章の話』は「日本少国民文庫」(全16巻、新潮社)という、少年少女向けに作られた文庫の一つで、昭和12年刊行。もう戦争がすぐ始まるという時期で、日本国内の雰囲気はよくなかった。
子供向きのせいかもしれないが、とても読みやすくて感心した。文章読本というより、まずその前の前置きが長い。まず文章を書く人間がどうできているかということについて説明しているので。「むずかしいことのやさしさ」「やさしいことのむずかしさ」というのは、わたしもいつも感じるので共感。
小林秀雄はこのころ書き始めた人だが、<3行で済むところを10ページに書く>(笑)ので、試験なんかに出るとすごく迷惑だった。あんなのをありがたがる(元)文学青年というのはどうかしている。
「言葉は思想を伝える道具ではない、文章は思想を伝える道具ではない。」
「文字による思想の発表が文章である。」
というのも共感した。言いたいことをそのまま盛らないとだめだと思うのですよね。だから激怒すると言葉がきつくなったりするんだが、わたしの場合。持って回った言い方(書き方)しかできない人っているんだが、それじゃ相手には伝わらない。過不足なく伝えなければ相手には伝わらない。
というわけで、わたしも日々、どうやったら自分の書きたいところが表せるのか、何度も読み返して足りなければ書き足すし、表現としてよくなかったら別の言葉を使う、などしてブログを書いています。
研修は一つ大きな山を越えたが、今日も午後はかなりつらかった。居眠りはしなかったですけど。あと一日で休み。週末はゆっくり英気を養おう。