2007/11/5 月曜日

遊びの重要性について

Filed under: 日記,散文・文章 — ぱぐ @ 7:31:05

10年ほど前だったか、何かの集まりの時に技術者だという男性から聞いたひと言が忘れられない。
「遊びってないと、だめなんですよね」

車のハンドルか何かの話だったと思う。遊びの部分がないと壊れやすいのだ、という趣旨の話だった。

これって人間についても言えないかな。目の前のことに夢中なのはいいけどキリキリ舞いしてる人って、いつか壊れるんじゃないかと心配になってしまう。だからこれはわたしの持論なんだけど、若いころから自分の目の前のこと(勉強とか仕事とか子育てとか)と関係のないことを一生懸命やるってことは、人生の遊びになって、全体がうまく行くと思うのだ。年取ってからいきなりそういうことしなさい、と言われてもできないからね。

すこし前に、同級生とそのお母さんと話す機会があって、いろいろ話していたら、そのお母さんは短歌を作っていたことがあると言った。宮柊ニ(みやしゅうじ)という歌人に師事したのだという。短歌に夢中になることで、子育ての時期を乗りきることができたのではないかと推察する。
この場合、出来というのはあんまり関係ない。うまくなった方がいいには決まっているが、まずは楽しむこと。

わたしの母がのし掛かるように子育てばかりに目を向けたのでたいへん迷惑したということは何回も書いているとおりなんだけど、中一の時の担任だった英語のK先生は、わたしが悩んでいたことを知っていたので、卒業してから母校に行って話したときに、
「お母さんも何か自分のことで夢中になれることがあればよかったのにね」
と言った。そうなんだよなあ。

おかげでわたしは10代の終わりくらいから20代いっぱい、いちばん若さを満喫できる時期に精神的に不安定になって、いろいろ吸収できたはずの期間なのにもったいない過ごし方をしちゃったのじゃないかと思っている。ボーイフレンドもできなかったしね。一人でいろいろ遊ぶことは覚えたつもりだが、話す相手は欲しかったからつまらないと言えばつまらなかった。親友とはいろんな所に旅行に行ってそれなりに楽しんだけど、異性との関係ってのはまた違いますから。娘ざかりらしい時期がなかったかもしれない。つくづく自分の「失われた10年」が惜しい。

家人はわたしと結婚する2年ほど前から10年間くらい片道2時間通勤をやって、かなりきつかったと思うのだが、その反動か学生時代からの楽しみであるバンド活動は絶対手放さなかった。練習も車で片道1時間以上とけっこう大変だったろうに、よく続けたよなあ。あれがなかったら片道2時間通勤は続かなかったんじゃないかな。

今は家で仕事してるから比較的自由に時間が使える(その代わり自己管理が大変だけど)。遊んだり食べに行ったりできるわけなので、楽しそうになってきた。
わたし自身も家人と一緒に楽しめるようになって心持ちが違ってきた気がする。
 

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家人がバンドの練習で出かけたので、久しぶりにテレビを独占してゆっくり観る。家人はふだん頭を使って仕事しているせいか、お笑い番組が好きで、やかましいものが嫌いなわたしは結婚当初、反発を感じたのだが、いつの間にか刷り込まれてしまい、おっぱっぴーなんかもずいぶん前から知っている。

今日は日曜日なので、朝は「新日曜美術館」で正倉院展の紹介、夜はフィギュアスケートで真央ちゃんが逆転優勝したのを一人拍手しながら楽しみ、そのあとは「N響アワー」でブラームスを聴きながら新聞の切り抜きと先日来、挑戦しているひとり歌仙に頭をひねる。

こんな風に一人を楽しむことができれば、年取っても大丈夫かしらん。しかし電話魔になったりする可能性はありそう(苦笑)。

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