2007/10/12 金曜日

高幡不動詣りと土方歳三の生家(2)

Filed under: 日記,旅行 — ぱぐ @ 6:56:14

浅川
そのあと、歳三の生家がある石田に向かう。多摩川の支流である浅川で、歳三は家伝の薬の材料である薬草を集める指図役を務めていて、その経験が新撰組を運営するのに役立ったのではないか、というのが『燃えよ剣』での司馬遼太郎の見方。石田に行くために浅川を横切った。けっこう河川敷が広いんですね。

司馬遼太郎が石田を訪ねたのはわたしが生まれるより前のことなのだけど(『燃えよ剣』は昭和37<1962>年11月19日号~同39年3月9日号の「週刊文春」に連載)、そのころはもっと多摩の農村の風景が残っていただろう。古い農家らしい家はあまり見かけなかった。
「土方」という名前が村(昔は石田村だった)にはたくさんあるらしい、と書いていたのだけど、ほんとうに土方さんだらけで驚く。どうやって区別してるんだろう?屋号かな。「土」の字の右上に「、」が付いている名前も見かけた。

土方歳三の生家が資料館になっているのは知っていた。歳三の兄の子孫が住んでいるお宅なので、月に二回しか公開していない。今回は場所だけ確認するつもりで来た。

実は歳三がこどものころ、洪水に遭って、今の場所に越してきたのだという。もっと浅川に近いところにあったらしい。

右三つ巴
石田寺<せきでんじ>にも行ってみた。ここは高幡不動の末寺で、地元の人達のお墓があるところ。ここも土方さんだらけで、びっくりする。家紋が右三つ巴なのは共通していた。
歳三は函館で戦死したので、遺骨はここにはないのだけど(埋葬場所は不明とのこと)、生家の人達のお墓がここにある。のちに官軍になった人達をたくさん斬ったことで新撰組はずっと憎まれてきた存在だったし、歴史上の評価をされたのも昭和の30年代以降だから、それまではひっそりと子孫や関係者が語り継いできたはずだ。

今度ゆっくり、歳三資料館と、歳三の姉が嫁いだ佐藤彦五郎記念館、日野宿本陣(佐藤家の建物が残っている)、天然理心流からの仲間である井上源三郎記念館などを訪ねてみたい。
実は京都の屯所があった壬生にも行ったことがないので、そちらも。

文中で紹介した司馬遼太郎のエッセイは「土方歳三の家」(『司馬遼太郎が考えたこと2』新潮文庫)です。

『燃えよ剣』と土方歳三についてはこんな過去ログがありました。
司馬遼太郎で好きな作品3つ 2007.9.10
いちばん好きな司馬遼太郎の小説 2006.3.22

高幡不動詣りと土方歳三の生家(1)

Filed under: 日記,旅行 — ぱぐ @ 6:32:17

きのうはエクセル&ワードを府中で習う日だったので、帰りに日野に寄った。

結婚するまで調布に住んでいたのだけど、中学生の時から好きだった司馬遼太郎『燃えよ剣』(上下、新潮文庫)の舞台の一つである、土方歳三の生家がある日野市石田に行ったことがなかった。
ブログでは細かい事情が書けないけれど、個人的にも行きたいところだったのに。

高幡不動には15年ぶりくらいかな?ちょうど護摩焚きが始まるところだったので、不動堂で正座してお経を聴く。ここは元は天台宗で今は真言宗だという。東寺とか高野山を開いた弘法大師空海の方ですね。大本山は京都の智積院とのこと。

ご本尊を拝んでから、えらいお坊さんのお話を聞く。これから境内で菊祭りが始まること、そのあとは紅葉がみごとであること。古いご本尊修理が終わったことで、この寺は次の千年を迎えることになりました。この文化財をみなさんのご協力を得て伝えていくこともわたしたちの大事な務めです、というような話だった。

今の世の中は現象を追ってばかりいて、ちっとも深さがないと常々思っているので、こういう視点は大事だなと思った。文化というのはすぐには達成できない、誰かに受け継いでいくものだ、そのためには教育が大事、というようなことも思った。

小さな子が二人来ていて、そのお坊さんに頭をなでてもらった。
「この間、”うちでは一度も子供を叱ったことがありませんから、学校でも叱らないでください”というお母さんをテレビで観ましたが、とんでもないことです。叱られなければ、人は成長しないんです。少し厳しいくらい、お子さんを叱って育ててくださいね」

古いご本尊は外からガラス越しに見ることもできるが、宝物館に入れば直に拝むことができる。宝物館には土方歳三の直筆の書簡があり、お坊さんが解説してくれる時間に当たるというので、入る。
いろいろ面白かったのですが、やはり歳三の手紙がいちばん印象的でした。けっこう達筆で、読み下しの解説がなければ読めない(国文出身のくせに学生時代さぼっていたので崩し字で書かれた文章が読めないのです(泣)。

手紙の内容は、自分が戦死したら菩提寺である高幡不動でお弔いをあげて欲しい、というもので、山崎天王山(京都)での戦い(1864<元治元>年7月)のころに書かれた。

toshizou-douzou.JPG

高幡不動境内の土方歳三の銅像

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