2007/10/21 日曜日

卓球部の同学年3人が来訪

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 8:30:55

「クラブの同学年で集まることについて」(9/23)に書いていた、母校の卓球部の同学年の集まりが、きのう我が家で行われた。

高2の引退時期まで続けたのはわたしを含めて6人なのだけど、今回は2人の都合が合わなくて3人が来訪した。
うち、OさんとSさん(親友)は府中市在住、もう一人のMさんは埼玉の川口から両国に今年初めに引っ越したのだという。

わたしは卓球の試合でも、友達の結婚式にも(!)遅刻した悪名高き過去があるので、今日はひとを迎えるのにいくらなんでもまずい、と思い、駅まで迎えに行くのにかなり早めに出た。

1人、早めに帰る予定があるという話だったのでお昼を食べてもらうことにして、黒米を入れたごはんを炊き、エリンギ・茄子・人参・玉葱のカレーを作り(ルーはバーモントの中辛)、サラダ菜と柿と赤玉葱のサラダを作った。料理はずっと苦手にしていて、最近ようやく楽しくなってきたところ。卓球部のみんなに食べてもらうのは初めて。

このあいだ家人に買ってきてもらったコショウせんべいが好評だった。ピリピリするんだけど、病みつきになるらしい。それと、近所の和菓子屋で予約しておいた芋ようかん。

それと、府中でケーキを買ってきてくれたので、それと家人が粉から入れた珈琲。最近粉から入れてなかったし、いつもより人数が多くて粉を多めに入れてしまったらしく、かなーり濃いものになったが、それでもおいしかったという。やなか珈琲というコーヒー豆屋のものなんだけど、前によく家人と都内歩きをしていたとき(谷中で見つけたコーヒー2004.10.17)に、見つけたところ。店頭で飲むのが極上で、これをいったん飲んでしまうと、有名コーヒー店チェーンのが「?」となってしまう優れものです。

と、いう話を3人にしたのだが、多摩の方にはないのですぐ飲みに行く!とはならなかった。両国のMさんだと亀有が一番近いかなあ。ネット販売もやっているのでお店に出向かなくても買えるけど。店内で飲めるのは神田店(小川町交差点近く)、千駄木店、根津店、北千住店、大山店。谷中店は紙コップです。今日の豆は神田店の<神田ブレンド>。

で、食べ物のことが先行しましたが、話は卓球部の現役時代のこと、同級生のあれこれの話、子供たちが自分に似ているなど。

中3の時に亡くなったMちゃんが中2の時にミュージック・フェスティバルという合唱イベントでピアノ伴奏した「だいだらぼっちの春」をMDに起こしてもらったので、それを聴いてもらう。わたしは同じ先生(母校の10年上の先輩に当たる)にピアノを習っていたので、亡くなったときには先生といろいろな話をしたのだった。

ほかのBGMは松田聖子の懐かしい曲が入ったベスト盤MDと、Mさんが希望したMISIAのDVD。

わたしが重度の母校依存症(?)だったことが改めて披露され、上の女の子が在学中であるOさんは
「あたしはそんなに母校愛はなかったなあ」
と言った。
まあわたしの場合は大学が合わなかったので、二十歳そこそこでいきなり過去に未練がましくなってしまい、かなり特殊な例だと思います(笑)。

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*中日ドラゴンズが巨人相手に3連勝で日本シリーズ出場決定。本試合の方は終盤息切れ気味だったが、クライマックスシリーズの勝ち上がり方がタイガース相手の時から良かった。今年の落合監督は日本シリーズでもいい勝負しそうな気がする。悲願の日本一をぜひ。相手の日本ハムファイターズも後楽園球場を本拠にしている頃から好きなチームなので、楽しみ。

*神谷美恵子関連のことで、あるお宅でお茶会をしていただけることになり、こちらも楽しみである。といっても質疑応答なんてものではなく、雑談が主になるだろう。

2007/10/20 土曜日

ふとんの打ち直し

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 7:20:42

家人は重たいふとんが好きなので、ベッドでも木綿の掛け布団を使っている。そろそろ冬用のふとんに代える時期だ。

春先に冬用ふとんのカバーを洗濯しようとしたら、覆っている布が切れていて、中の綿が出ていた。洗濯したらくず取りネットに入りきらないくらの綿ゴミ!

早く打ち直しに出そうよと言っていたのだけど、家人はぐずぐず引き延ばすところがあって、納戸にしてある部屋にずっと置きっぱなしになっていた。初めて車に載せて運んでいったらたどり着いたふとん屋は休み。その次の日は電気がついてるのに自動ドアが開かない(驚)。

で、その翌日別のふとん屋の広告が入っていたので、取りに来てもらった。開いてなかったふとん屋の自動ドアはたぶん、配達のため留守だったのだろう。留守番は置いてなくて。

まわりはミシン縫いだがふとんの表の布は絹糸で手縫いだから、絹糸が劣化したのでしょうとのこと。いつから使ってるのかわたしは知らない、かなり年季の入ったふとんではある。今度のは全部、綿糸ミシン縫いを頼んだ。

丈夫で安ければいい、と家人はわたしに布の模様の選択を任せたので、絞りふうの紫がかったものにした。絞りふうといっても家人には猫に小判でもったいないのだが。
身長を訊かれたので165cmというと、じゃあ標準で大丈夫ですね、とのこと。最近の人は背が高いので足が出ちゃう場合があるのだそうだ。うちは二人とも大きくない(わたしは152cm)ので、昔の(?)日本人体型です(笑)。

10日くらいでできあがるとのこと。値段は8800円なり。

……というわけで、きのう、できあがって配達してもらった。あのひどいふとんがみごとによみがえって、家人は大喜び。
「羽根なんかだめだな、重たくないと」
とのこと。もっと寒くなったら夏用と二枚重ねにするのだそうだ。

わたしは肩が凝ることもあって重たいふとんは×。羽布団を愛用している。

2007/10/19 金曜日

岡村孝子の曲あれこれ

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 9:01:52

また歌シリーズです。こうやって書いてみると、いろいろ好きだったんだなあ。
高校生のころにヒットしたあみんの「待つわ」(1982年)はもちろん知っていますが、特に好きな曲というのではなかった。

声に伸びがあっていいなと思ったのは、ソロになって最初のヒット曲「夢をあきらめないで」(1987年)

勤め人だったころ、レンタルショップからCDを借りてきてカセットテープにダビングし、通勤の往き帰りの電車の中でよく聴きました。現物が残ってないので調べてみたら、「After Tone」「After ToneⅡ」「Ballade」といったセレクションアルバムだったみたいです。
個々の曲の思い出というのは特にありません。このまま仕事を続けていいのか迷っていたこと、家で母と言い争うのがいやでいやでしょうがなかったことなど、きつい精神状態だったことが思い出されます。声に癒された部分がかなりあった気がしますね。

例によって好きな曲をランダムに挙げてみます。
*「夢をあきらめないで」
*「はぐれそうな天使」
*「夏の日の午後」
*「美辞麗句」
*「今日も眠れない」
*「電車」
*「リベルテ」
*「あなたと生きた季節」
*「未知標」
*「見返してやるんだわ」

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きのうは仕事のことで朝、確認の電話があり、来週先方と顔合わせすることになった。

エクセル&ワードの個人レッスンはちょうどきのうで終わった。それぞれ2時間×6回。テキストも少し使ったが、どちらかというと先生が独自に作った問題を解いたり、わたしが自分の作った神谷美恵子の年譜(エクセル)のわからないところを訊いたりした。合間に雑談をはさんだりしてなかなか楽しかった。

定年後とか子供の手が離れて暇になった人が趣味で何かやりたいと習いに来ているところなので、わたしのように仕事に役立てようとする生徒は珍しく先生の方もだいぶ力が入ったらしい。何かあったら訊きに来てください、とのこと。

2007/10/18 木曜日

家人の母といろいろ話す

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 7:43:34

この間、家人とその母と三人で小平の料理屋に行って蟹しゃぶを食べた。

事件(?)があって以来の顔合わせだったのでちょっと緊張したのだけど、思いのほか話が弾んでほっとした。うちの母は家人の母を訪ねたときに、夕飯の時間になっても帰ろうとせず、「電車の終電はそろそろだと思いますが……」と促され深夜12時過ぎにやっと帰ったのだという。前にも夜中の2時(!)までいたことがあったのだから、相変わらずだなぁと呆れた。
しばらく前から肝臓に持病を抱えているのだけど、下戸ですからストレスが大きな原因だろうと思う。こんなことやって、自分で溜め込んでいるようなものじゃないか。馬鹿だよね。

まったく、目の前の人に迷惑を掛けていることを自覚できないで、「教育がどうとか」「子育てに苦労して」とか言う資格ないでしょうよ。まず自分を教育することから始めないとね。

母校に在学中、わたしもよく相談に乗ってもらった体育のE先生(2回担任になった)は、5時間も捕まって愚痴を聞かされたことがあったという。授業は大丈夫だったのかなぁ。E先生は優しかったのだろう、在学中のわたしにはそんなこと言わなかったけど、卒業してから聞いてびっくり仰天して「先生、すみませんでした」と謝りましたよ。

こういう母親を見ていて、あんな風になりたくない、とわたしが思ったわけ、口出しされると激怒するわけが家人の母に少しわかってもらえたかどうか。

父がそういう自分の女房をどう思っていたかわからないけど、わたしがしょっちゅう、母とちゃんちゃんやり合っていて、口をきくのも拒否という状態を続けていたことを、案じていたと思う。わたしとしては父が母の暴走(!)を食い止められないことが不満だったのだけど。誰かが注意するったって、亭主以外にいないわけですからね。娘のわたしに注意されると逆上するだけで、ぜんぜん聞き入れやしない。弟はあんまり意見を言いませんでしたが、どうしようもない家庭の雰囲気はきらいだったろうと思う。学生時代はうまく逃げていたのじゃないかな。

反抗期の子供を抱えた家庭って、多かれ少なかれギスギスするものだと思うのだけど、なんとかうまく親の方は大人としての対処をして欲しいものだと、願ってやみません。

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仕事のことで連絡が来ないのでこっちから電話したら、雇い主が次の期まで雇用を見合わせたんだって。わたしが連絡してからあわてて問い合わせたみたいだったぞ。すぐ仕事したいと思って面接用に予定をなるべく入れないようにしてるのに、それじゃ困る。
せっかく習ったエクセル&ワードを忘れてしまうではないか!先生が心配してくれて「早く決まるといいですねえ」とこのところ毎回言ってくれるのに。

……とちょっと怒っていたら、次の日に電話がかかってきた。短期の仕事だそうだが、とにかく収入がないといろいろ困るので受けることにした。11月中旬から1月中旬まで。

2007/10/17 水曜日

図書館で借りた5冊・その2

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:47:36

清瀬の図書館でまた5冊借りた。
今度はめずらしく絵本が入っている。

1.あまんきみこ作、上野紀子絵『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房、1982)
2.丸谷才一・編『恋文から論文まで』日本語で生きる3(福武書店、1987)
3.齋藤昇『「最後の一葉」はこうして生まれた―O・ヘンリーの知られざる生涯』(角川書店、2005)
4.E.M.フォースター『フォースター老年について』大人の本棚(みすず書房、2002)
5.塩野七生『三つの都の物語 緋色のヴェネツィア 銀色のフィレンツェ 黄金のローマ』(朝日新聞社、1999)

1.中高の同級生のがなから「影送り」という言葉を教えてもらったので。ネットで調べると、この本が小学校の教科書に載っていたことがあるらしい。日本国語大辞典に載ってなかったので投稿するための資料としても使った。投稿したのはこちらです。

2.丸谷才一の関係するものは翻訳でも編集でも一通り読むことにしている。この本は前から読みたかったのだけど古本屋では見たことがなかった。
作文心得集で、ウルサ型の編集者(大久保房男)が作家の文章のヘンなところを指摘したものや、中野重治が左翼の「戦旗」という雑誌の読者のためにわかりやすく書こう、と呼びかけるもの(読みやすくて文字通りのお手本)、ドイツ文学者高橋義孝の「国文学者の悪文」など。司馬遼太郎が正岡子規と文章日本語の成立について書いたものも入っている。

「文章力の向上」は高校生のころから心がけているから、おもしろかった。丸谷には『文章読本』(中公文庫)という自前の文章講座の本もあります。

3.ヘンな日本語に当たると腹が立つのでどちらかというと翻訳物はあんまり読まないんですが、O・ヘンリーは中学生のころから好きだった。うちにあるのは新潮文庫の3冊本で、大久保康雄の翻訳。好きなのは「よみがえった改心」「アラカルトの春」「多忙な仲買人のロマンス」「桃源境の短期滞在客」「水車のある教会」「心と手」「都会の敗北」など。

作者の生涯とかプロフィールはどんな本(ブログ)を読むときにも気になるので、あとがきにあった紹介でO・ヘンリーの生涯の概略は知っていたんだけど、改めて読んでみるとおもしろい。地図と年譜をつけて欲しかったな。いろんなところに住んでるんだから位置関係がわかった方がより楽しめるでしょう。

アメリカではO・ヘンリーの評価は上がったり下がったりしているらしい。日本でもそうだけど、評論家の言うことって半分当たって半分はずれているから、そんなに気にすることないと思う。評論するために作品があるんじゃないんだから。読者が一番大事。長く読み継がれてきた、ということにまず意味があると思う。

4.四十代のくせになんで、と言われそうですが(笑)、実母や家人の母の心理状態にずっと迷惑してきて、もう向こうは老年なので、なにか参考になるかと思って。自分が年寄りになったときの心構えになれば、という気持ちもあります。
あとはイギリス好きだし、E.M.フォースターは「眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」「モーリス」を映画では観ているんだけど原作は読んでいないので読みたいと思っている(みすず書房に著作集あり。評伝も面白そう)。

5.塩野七生も一通り読んでみる作家の一人。この人もはずさない物ばかり書くからうれしい。ずっと読み続けるためには作家の書く物に読み応えが要る。知的な読みものというところもわたし好み。
小説にしては説明が多いなあ。日本人になじみのない国&時代の風俗を扱っているからなんだろうけど、もうちょっと工夫の余地がありそうな気がする。まだ読み終わっていない。期限に間に合わないので、いったん返してしまった。

リンク<図書館で借りた5冊>2007.10.2

2007/10/16 火曜日

ミス・ポター

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 7:06:58

potter.jpg
パソコン教室の帰りに新宿に出て、映画「ミス・ポター」を観た。

<ピーター・ラビットのおはなし>など、ビアトリクス・ポターの絵本は愛読した児童文学のひとつ。イギリス好きのルーツはこんなところにもある。今はうちに本がないのだけど、結婚したときのお祝いにウェッジウッド製のピーター・ラビットのティー・セットを友達に所望した。

10年前の英国旅行では湖水地方にも行ったし(バスツアーで時間がなかったのでヒルトップ農場には行けなかったが)。

ビアトリアスがヒルトップ農場を買い取ってナショナルトラストに寄付したこと、年配になってから弁護士と結婚したことは知っていたけど、自分の本を初めて出してくれたノーマン・ウォーンとの悲恋は今回の映画で知った。

最近ずっと神谷美恵子のことを考えていて、ブログにもずいぶん登場させているけど、彼女も若いころに相思相愛だった人を病気でなくしているので、そんなことを考えながら観ていた。

あと、ノーマンとの結婚に強力に反対する母親が出てくるが、わたしも自分の母にめちゃくちゃにされた交際があったし(今でも許し難い出来事)、神谷美恵子が初恋を成就させることができなかった原因のひとつに母親の反対があったので、二重三重にいろいろ考えさせられた。

ほんとうに育ちのいい人だったらああいう行動には出ないんだよなあ、というのはわたしの母にもビアトリクスの母親にも見て取れることで、社会的な成り上がり者というのは自分が出た階層を切り捨てることで、何かを得たような気がするのかもしれない。

プログラムにきのこのスケッチが載っているが、すばらしい写実画。菌類の研究をしていたというのは聞いたことがある。女性が学会に参加することが許されなかった時代なので、論文は受け入れてもらえなかったそうなのだが。

福音館から伝記が出ているらしい。そのうち読んでみよう。
『ビアトリクス・ポター―描き、語り、田園をいつくしんだ人』(ジュディ・テイラー著、吉田新一訳、福音館書店、2001)

2007/10/15 月曜日

竹内まりやの曲あれこれ

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:21:47

また歌で行ってみたいと思います。親の悪口なんか書くよりずっと楽しいし精神衛生上もいいみたい(笑)なので、ときどきやってみようかな。

竹内まりやをわたしに教えたのは中高の卓球部でも一緒だった親友で、彼女は車の運転をするからそのBGMとしてよく選んでいたんじゃないかと思う。

何度も書いていますが、テレビのチャンネル権もラジオのチャンネル(?)権も、ぜんぶ親、特に父にあったので、わたしは流行歌やCMをあまり知らないまま大きくなったところがあります。自分で小さなラジオを買って通学や通勤の合間に聴いたり、深夜放送を聴いたりもしたのだけど、まあ基本的にはね。

調布にいるころ、すこしお茶を習ったんだけど、そのときの仲間にアルバム「Quiet Life」(1992年)がよかったと言っていた人がいたのを覚えているので、そのころはもうかなり好きだったのかなー。たしかすぐには買わなかったと思うけど。

結婚してから山下達郎のファンクラブに家人が入ったので、わたしも便乗させてもらって竹内まりやが久しぶりのライブを武道館でやったときには聴きに行きました(2000年7月)。生で聴いたのはそのときだけ。そのライブアルバムが「souvenir」。家人は竹内まりやの曲はあまり好きではないそうですけど(重視するのは曲、歌詞は付属品らしい)。

いちばん良く聴いたアルバムは「インプレッションズ」(1994年)です。

好きな曲をランダムに挙げてみます。
1.もう一度
 最近行きませんが、家人と二人カラオケするときに、家人に山下達郎の「GET BACK IN LOVE」を唄わせて、わたしがこれを唄うというパターンをよくやりました(笑)。二人だと忙しくてたいへんなんだけど。

2.家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)
 「好きな歌違う 選ぶ絵も違う でもいちばん私を知っている♪」のところが好き。

3.カムフラージュ
 自分の正直な気持ちを確かめよう、というのはわたしの考えの根っこにあるので同調します。

4.恋の嵐
 出だしのメロディーが好き。

5.純愛ラプソディ
 出だしの「明るいだけが取り柄でも私だって命がけの恋に憧れることがある~♪」が自分のことを言われてるような気がした。

6.Forever Friends
 これはもう今まさにいろいろ感じているところ。

7.LET IT BE ME
 エヴァリー・ブラザースのカバー。武道館ライブで山下達郎とデュエットしたのがよかった。

8.ジョニー・エンジェル
 カバー曲集「Longtime Favorites」(2003年)より。洋楽はよく知らないので曲の説明ができませんが、曲調が好き。

9.SUMMER VACATION
 山下達郎のラジオ番組で流していたもの。村田和人とのデュエット。村田和人のアルバム「MY CREW」所収。私的に山下達郎とデュエットしたのも聴いたことがあると思う。

10.人生の扉
 四十過ぎて人生後半戦だな、と実感している日々なので、こういう歌はまだ希望があるよと教えてくれるみたいでうれしい。

山下達郎の「サンデー・ソングブック」(日曜14:00~14:55、TOKYO-FM系)は先日15周年を迎えましたが、結婚する前からときどき聴いていた。家人から洋楽のことを吹き込まれたので少しわかるようになってきたが、それでも「オタク」過ぎる選曲の時はついてゆけない。

あの番組でわたしがいちばん楽しみにしているのは、夏の納涼夫婦放談と暮れの年忘れ夫婦放談で、むろん山下達郎×竹内まりや夫妻であります。これだけはMDに録音したものを取っておくことにしている。

2007/10/14 日曜日

親を見ると子がわかる、子を見ると親もわかる

Filed under: 散文・文章 — ぱぐ @ 8:04:33

自分の反抗期が長すぎる(中学生くらいから現在に至るまで。30年近い!)せいか、親子関係、あるいは夫婦関係が気になる。

夫婦の仲が良ければ、子供もそんなにすさまじく反抗しないだろう、というのは自分の経験から言ってもいろんな人を見ていても思う。親を見てると、ああこういう子供になるよなあ、と納得がゆく。あるいはこういう子供はどういう育ちなんだろう?と思って親を知ると、納得できたりする。

仲のいい夫婦の子供はわりとスッと大人になれると思うのですね。ボーイフレンドやガールフレンドもうまくできるし、結婚するのもわりに早め。いつも平穏無事ではなくていろんなことがあるのが人生なのだけど、それを共同で乗り切れる力があるかないか、身に付いているかどうかは、その人の育ったものに大きく影響されるんじゃないかと思う。

わたしの母はやることが過激ですぐ感情的になるので、子供としては迷惑だったのだけど、その血は母の父から来ているらしい。わたしにとっての祖父ですね。祖父はわたしが生まれる前に死んでいるので写真でしか見たことがないけど、やはり過激で扱いにくい人だったらしい。造花を売る小さな会社をやっていたらしいが、成功したとは聞いてない。

祖母はそういう夫に苦労してきて、がまんを美徳に考える人だったから、わたしが母とチャンチャンバラバラやって問題を起こしたとき(小学生のころ)に電話をしたら、
「がまんしなさい」
と言った。”がまん”とかいう問題じゃないんだけど、と思ったが、その場ではおとなしく聞いたのかな?良く覚えていない。
母のきょうだいは7人だが、祖父の過激な血をいちばん継いでいるのが母だったらしく、祖母は心配していたという。

そしてその母の過激なところはわたしも継いでいるわけなので、これはもう苦笑するしかない。弟は子供の時から人当たりが柔らかく、父の実家に行って親戚が大勢いる中でビールを注いで回ったりするような愛嬌があった。大人になってからはあんまりつきあいがないけど、基本的に人当たりはいいんじゃないだろうか。

誰かが好き、というとき、わたしはダンナや奥さんや恋人を大事にする人、という基準を持っているらしくて、仲代達矢(亡くなった宮崎恭子は俳優座の女優出身で無名塾を一緒に立ち上げた人)しかり、山下達郎×竹内まりや夫妻しかり、あるいは神谷美恵子(ダンナは生物学者。今で言うバイオの基礎研究をしたらしい)しかり。司馬遼太郎もそうだ。

無意識のうちにそういう基準を持っているらしい、と気がついたときに、自分が両親を見ていて、ああいうのはいやだな、と思っていたからだな、と思った。

で、自分は(なるべく(笑)ダンナを大事にするように心がけている。つまらない喧嘩はしょっちゅうするし、子供がいないせいかお互いに子供っぽいなぁと思うんだけど、致命的なことはなるべく言わないようにしている。なんといってもわたしの過激なところは言葉に出ちゃいますから。

2007/10/13 土曜日

神谷美恵子の年譜に関数を使う

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 8:41:07

11日のパソコン教室は、例によって先生が作った問題を解いていくもの。
個人レッスンなので進め方はその場で相談して決めるのだが、今回はエクセルの年月日の関数だったので、ついでに神谷美恵子年譜の関数の使い方を教えてもらった。

1.西暦(美恵子の両親が結婚した1910年から今年2007年まで)
2.元号(明治、大正、昭和、平成)
3.干支
4.満年齢(美恵子出生の1914年を0歳とし、死去の65歳まで)
5.美恵子記事
6.美恵子関連記事
7.社会の出来事(角川の日本史辞典から歴史上の重要項目とジャーナリズム項目を打ち込み。文学関係は国語便覧を参考にしながら自分で打ち込み)

という具合にエクセルで左から項目を作ってあるのだけど、最初に年を全部手で打ち込んだので、途中で間違えてあれ?ということが何回かあったのだ。西暦を元号に換算するのはエクセルの得意技のはずだし、満年齢だって関数で出るんじゃないか、と思って訊いたわけです。

満年齢の当年(生まれた年)が「0歳」にならず「 歳」となったのだけ解決できなかったのだけど、わたしが習っているのと別のベテランのおじさん先生にも助けを求めて、他のところはできた。
自分が好きで作っているものなので、うれしさ百倍(笑)。

その代わり、先生が予定していたワードの問題が時間切れでできなくなってしまったので、宿題になりました。

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仕事が決まらない。早く連絡してくれないと困るなぁ。家人の母にまたあーだこーだ言われたくないぞ。

2007/10/12 金曜日

高幡不動詣りと土方歳三の生家(2)

Filed under: 日記,旅行 — ぱぐ @ 6:56:14

浅川
そのあと、歳三の生家がある石田に向かう。多摩川の支流である浅川で、歳三は家伝の薬の材料である薬草を集める指図役を務めていて、その経験が新撰組を運営するのに役立ったのではないか、というのが『燃えよ剣』での司馬遼太郎の見方。石田に行くために浅川を横切った。けっこう河川敷が広いんですね。

司馬遼太郎が石田を訪ねたのはわたしが生まれるより前のことなのだけど(『燃えよ剣』は昭和37<1962>年11月19日号~同39年3月9日号の「週刊文春」に連載)、そのころはもっと多摩の農村の風景が残っていただろう。古い農家らしい家はあまり見かけなかった。
「土方」という名前が村(昔は石田村だった)にはたくさんあるらしい、と書いていたのだけど、ほんとうに土方さんだらけで驚く。どうやって区別してるんだろう?屋号かな。「土」の字の右上に「、」が付いている名前も見かけた。

土方歳三の生家が資料館になっているのは知っていた。歳三の兄の子孫が住んでいるお宅なので、月に二回しか公開していない。今回は場所だけ確認するつもりで来た。

実は歳三がこどものころ、洪水に遭って、今の場所に越してきたのだという。もっと浅川に近いところにあったらしい。

右三つ巴
石田寺<せきでんじ>にも行ってみた。ここは高幡不動の末寺で、地元の人達のお墓があるところ。ここも土方さんだらけで、びっくりする。家紋が右三つ巴なのは共通していた。
歳三は函館で戦死したので、遺骨はここにはないのだけど(埋葬場所は不明とのこと)、生家の人達のお墓がここにある。のちに官軍になった人達をたくさん斬ったことで新撰組はずっと憎まれてきた存在だったし、歴史上の評価をされたのも昭和の30年代以降だから、それまではひっそりと子孫や関係者が語り継いできたはずだ。

今度ゆっくり、歳三資料館と、歳三の姉が嫁いだ佐藤彦五郎記念館、日野宿本陣(佐藤家の建物が残っている)、天然理心流からの仲間である井上源三郎記念館などを訪ねてみたい。
実は京都の屯所があった壬生にも行ったことがないので、そちらも。

文中で紹介した司馬遼太郎のエッセイは「土方歳三の家」(『司馬遼太郎が考えたこと2』新潮文庫)です。

『燃えよ剣』と土方歳三についてはこんな過去ログがありました。
司馬遼太郎で好きな作品3つ 2007.9.10
いちばん好きな司馬遼太郎の小説 2006.3.22

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