2007/9/27 木曜日

思う存分仕事をやった、いい顔の男

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:12:49

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「東京人」10月号の特集は「生誕150年 後藤新平」。

神谷美恵子を知るには父前田多門(1884-1962)を知ることが欠かせないのだけど、その多門が内務官僚から東京市の助役にスカウトされたときの東京市長が後藤新平(1857-1929)。

後藤新平というのは医者から内務省衛生局長、台湾総督府、南満州鉄道(いわゆる満鉄)初代総裁、逓信大臣、内務大臣兼鉄道院総裁、外務大臣、東京市長、内務大臣、東京放送局(今のNHK)初代総裁、日独文化協会会長、と並べていくと実にいろんな肩書きのあった人だが(これでも主なものだけ)、写真を見ると実にいい顔をした男なんですよねー。
名前は知っていたけど、こんなにかっこいい人だとは思わなかった。これは司馬遼太郎のいう「人たらし」(自分の魅力で人を周囲に集める人)だなあ。女にもずいぶんもてたという。

いろんな意味で近代日本の行政のデザインをした人で、そのために無名の若手を抜擢することに長けていたという。「午後三時頃の人間は使わない。お昼前の人間を使うのだ」というのは、人事の妙を知り尽くしたことばではないかしら。

東京が関東大震災で被害にあったとき、復興計画にまっさきに取り組んだのが当時内務大臣だった後藤新平で、その計画の元は震災前の東京市長時代にすでに立てていたという。今の環状線とか、移転騒ぎになっている築地の市場、避難場所にもなるように建て直した小学校(たとえば銀座の泰明小学校)とか、みんな後藤がかかわっている。

もうひとつ神谷美恵子関連で言えば、両親の恩師である新渡戸稲造(1862-1933)を抜擢したのも後藤で(学者から台湾総督府殖産局長)、そういう意味では二重三重に神谷美恵子に縁があることになる。彼女は父が東京市助役をしていたころは小学生、東京市政調査会専務理事の時は成城高等女学校在学中。

こうやっていろいろ広がっていくのは、調べる方としては楽しいんだけど、いつまで経ってもまとまらないんじゃないかという不安がある。心づもりとしては半年くらいの間に第一稿を書き始めたい。

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