コメントつけられるようにしました
迷惑コメントをはじける設定にしたので、書き込んでいただけるようになりました。
わたしの方で許可を出しますので、そのあと表に載ります。
なお、メールアドレス必須となっていますが、表にはでませんのでご安心ください。
迷惑コメントをはじける設定にしたので、書き込んでいただけるようになりました。
わたしの方で許可を出しますので、そのあと表に載ります。
なお、メールアドレス必須となっていますが、表にはでませんのでご安心ください。
小学4年から入った私立の学校で高三まで一緒だったMさんが昨年の今日亡くなって1年経った。
去年は引越の準備中で大騒ぎしていたので、小学校のクラスの仲間から電話がかかってきたとき、一瞬何のことか理解できなかった。
4年から6年まで同じクラス同じ担任で、中高の方では同じクラスにならなかったから、小学校の友達、というイメージが強い。
小学校のころの日記は残っていないし、記憶の方も彼方へ行ってしまったのでくわしいエピソードは覚えていない。大柄で明るい人だったので、たぶん人一倍「面倒みないといけないやつ」だったわたしは、いろいろお世話になったんじゃないかと思う。
高校生のころ、一度帰りの電車で一緒になったら、椎間板ヘルニアをわずらっていると言って、座るのも辛そうにしていたことだけ覚えている。
彼女は結婚してから海外に住んでいたので、中高の方の同窓会にもあんまり来なかったのかな。小学校の同窓会がごくたまにあっても、「どうしてるのかな」と仲のよかったひとに訊いたくらい。高三の卒業以来、逢ったとしても数回だっただろう、記憶に残っていない。
日本に帰ってきているときに脳梗塞で倒れたという。
5日に書いたMちゃんは永遠の15歳だが、Mさんも永遠の40歳になるわけですね。
昨年11月小学校のクラスで偲ぶ会をやったときの文章は次の通り。
「同級生を偲ぶ会」(2006年11月19日付)
今年の元旦にお墓参りに行ったときの文章は次の通り。
###
神谷美恵子の意識の中で「肺結核で亡くなった初恋の人と友人たち、生き残った自分」というのは大事なことのひとつだと思うので、そんなことも考えながらMさんの一周忌を過ごします。
HTML convert time: 0.346 sec. Powered by WordPress ME