2007/9/11 火曜日

国語便覧の読み過ぎの影響

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 11:30:48

中1の時、国語の時間に赤い表紙の『新編国語便覧 新装版』(秋山虔・編、中央図書、初版昭和52=1977年、新装版昭和53=1978年)というものが配られた。

今でも手元にあってときどきのぞいているのだけど、ここの近代文学の作家欄を読み過ぎたのが(?)、作家の人生についてやたらと興味を持つきっかけになった気がする。

当時の最新作家として純文学は古井由吉(昭和12=1937年生まれ)、大江健三郎(昭和10=1935年生まれ)あたりまで。
大衆文学というのが別のページにあって、五木寛之(昭和7=1932年生まれ)や井上ひさし(昭和9=1934年生まれ)、劇作家の最新人は唐十郎(昭和16=1941年生まれ)。

三島由紀夫が「戦後の文学」として安部公房、大江健三郎、井上靖、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、有吉佐和子と並んでいる中の筆頭に来ているのがおもしろい。特別扱いはされていません。並んでいる中で当時もう死んでいたのは三島だけでした。

三島はどういうわけだか、子供の頃から嫌いだった。実家に『長すぎた春』『真夏の死』あたりがあって読んだ覚えはあるけど、特にどうという印象は残っていない。あとから伝記を知ってみると、虚弱児がマッチョになりたがるとか、不自然なことが好きな人なんだなあという印象です。ひとつだけ感心したのはお習字の字がとてもきれいなこと。

太宰治は年譜が付いていて、作品名の合間に「心中未遂」「縊死未遂」「心中未遂」「入水」とあるのが不気味な感じがした。小学校の時「走れメロス」を国語の時間に教わって、あれは良くできていて好きだったので、ギャップを感じたのかもしれない。

太宰の前の特別扱いは芥川龍之介で、これも年譜が付いているのだけど、最後が服毒自殺なので、おや、という感じだった。太宰と違って顔写真が付いているのだが、中学生の時はかっこいい少年なのに死ぬ直前の顔が老人くさい(35なのに!)のでそのギャップにびっくりした。その前に読んでいたのは『蜘蛛の糸』くらいではなかったか。
三男也寸志(作曲家)はテレビで見る顔で、お父さんにそっくりだったから子供だということは知っていたと思う。
長男比呂志(俳優、演出家)はもう亡くなっていたかで、テレビや映画で観た覚えがない。エッセイはもっとずっと大人になってから読んだ。最近講談社文芸文庫からエッセイ選集が出ました。文章はかなり上手です。

次男多加志はビルマで戦死したのだけど、文才は彼がいちばん継いでいて生きていれば作家になったのではないかと言われていたという。
このあいだ遺稿の小説を発掘した本(天満ふさこ『星座になった人―芥川龍之介次男多加志の青春』、新潮社)が出て評判になった。わたしも読んでみたが、繊細さ、目に見えないものを感じる力はたしかにこの人がいちばん継いでいたように思う。

ただ、この天満というひとの文章は練りがなくてだるかった。遺稿発掘記ならその経緯を簡潔に書いて遺稿紹介をメインにするべきだし、伝記にするのなら芥川家のひとびとや多加志が戦死したビルマ戦線についてもっと掘り下げないとつまらない。この辺、アドバイスできる人はいなかったんだろうか。

その他にも途中で自殺した作家が何人もいることに気が付いて、どういうことかなあと思った。北村透谷、有島武郎、川端康成。おもしろいことに女の作家でそういうことをするのがいないってことには気が付かなかったと思う。

作品はちっとも読んでいないのに(たとえば川端康成、谷崎潤一郎)、どういう人脈の人でどういう傾向のものを書いたのか知っているのは、この国語便覧の読み過ぎのせいです(笑)。

谷崎は高校生の頃、『春琴抄』を読んでみようとして、あのずるずるした文体に我慢できなかったのが不幸な初対面。一度『源氏物語』の現代語訳を買ったのだけど、ぜんぜん目を通さないまま古本屋行きになってしまった。
4,5年前神戸に行ったとき、あちらには旧居があるから現地住まいの同級生に「谷崎読んだ?」と訊かれたが、「実は読んだことなくてね」と答え、読んだことないのに行ってもしょうがなかろうと思い、行かなかった。

20代の頃には、物書きになるつもりの意識がもう芽生えていたのだと思うけど、「いかに自殺をせずに生きて書くことができるか」というのを大まじめに考えていた。10代のころは「うんと長生きするんだ」と友達に言っていたのに、20代は性格に合わない大学や、子離れできない共依存の母の問題で苦しんだのでかなりギャップが大きく、深刻な問題だと思っていた。

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