2007/9/9 日曜日

ハンセン病療養所の今

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 8:20:20

NHKハイビジョン特集「忘れないで」というのをやっていたので観る。大島青松園という四国のハンセン病療養所の話。島内には職員の子供が3人いるのだけど、彼らが卒業すると島の小学校は休校になるので、その前後の様子を追ったもの。

東村山の全生園でもそうだけれど、現在ハンセン病療養所にいる人たちは、だいたい70代以上になっている。薬で治療できるようになってからは、外で生活するひともいるし、若い患者が入ってくるということはない。

かつては、いい治療薬はないし感染の心配もあるということで、この病にかかると国の方針で各地方に作られた治療所に強制隔離されていた。医師も看護師も数が多くない中で、患者であってもかなり過酷な労働をしなくてはならなかったり、あまり病状が重くないと重症者の面倒を見る係になったという話である。

中で結婚しても子供を生むことができなかった。断種や中絶が強制的に行われたという。ニュースになったのでご存じの方もいるかもしれないが、胎児たちの標本がそのままずっと残されているということがあって、現在は人権問題になることなので、各地で火葬されたり慰霊碑が建てられたりした。

番組の中に、7ヶ月まで育った子供を断念した経験がある女性が出てきて、児童3人と川柳教室をする中でその経験談を語る。子供たちはここに見学に来る人たちのための案内人を務めているので、その中で川柳のことも紹介する。

休校になる前に一度、子供たちの案内の様子を聴きたい、と女性が裏の方でそっと聴くという場面があった。自分のつらい体験を島の児童(女の子だった)が外部の人たちに話しているわけで、かなり気丈な女性だったが聴くことはかなりきつかっただろうと思う。

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昔のことを書くときに、どういう視点から見るかによって書き方がだいぶ変わってくると思うのだけど、神谷美恵子のことを書くには、このハンセン病を取り巻く環境の劇的な変化を頭に入れなくてはいけないので、なかなかむつかしいだろうと思っている。

強制隔離が行われるに当たっては光田健輔という医師の尽力が大きかったのだが、薬で治るようになってからは彼に対する反発、批判がかなり強かったという。
神谷美恵子は初めて長島愛生園に行ったとき(女子医専=今の女子医大在学中、昭和18年)、この光田医師(当時愛生園園長)に惹かれて卒業したらここで働くつもりでいたが、両親など家族の反対もあり精神医学を専攻することにして(この専攻はいかにも合っていたと思う)、医師としてのスタートは別の形で切った。

それが40過ぎてから関われるようになるのが、お話としてはかなり劇的である。本人としては劇的な人生を送るつもりはちっともなかったようなのに、そんな風になってしまったというのが、神谷美恵子のおもしろいところ。

なるべく本人の心情に沿って書いていくつもりでいるのだけど、きのうは晩年の方の年譜を作っていたので、ちょっと涙が出そうになった。

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