2007/9/6 木曜日

なぜ神谷美恵子なのか

Filed under: 未分類 — ぱぐ @ 8:46:11

神谷美恵子の年表作りの続きをやっている。

神谷美恵子の研究をやっているひとはいくらでもあるだろう。最近は本もいろいろ出ているし、ネットでも見かける。ただ、わたしがやりたいのはこの人の人生航路と考えたこと、感じたことを自分の言葉でまとめることなので、年表を作ったり関連人物を調べたり、読んだ本について調べるのは、基礎中の基礎に過ぎない。

自分とまるで同じような人物には興味が向かない。だってわかっちゃうものね、そんなのすぐ。
神谷美恵子のことを調べていると、すこし共感できるところがあって(気取るのが苦手。登校拒否の経験あり)、うーんすごいなあ(語学の天才。読書幅の広さ)とかほー、ここでこんな人に逢ってるんですか、とか、いわば本人と対話しているような感じが楽しい。

たぶんこれはわたしが文学畑だから。大学の時、専攻を日本史にするか国文にするか迷って母校の恩師(国語のM先生。読書家で芝居も書いていた)に相談しに行ったら、一も二もなく、
「あなたは文学よ」
と言われたんだけど、あれは正しかった。

教養科目で歴史も取ったんだけど、歴史の教員は正統派じゃないものに冷たいんだなってのもあって失望したので。大好きだった司馬遼太郎の『燃えよ剣』(新潮文庫)は新撰組副長土方歳三が主人公だが、その歴史の教員は「新撰組なんて」とちょっと馬鹿にしたのでむっとしたんですね。

もっとも国文でも研究ってのはあんまりおもしろくないなあというのが正直な感想だった(笑)。丸谷才一の『輝く日の宮』(講談社)はわたしより10歳年上(1955年生まれ)の日本文学研究者が主人公なんだけど、あの中では国文学者たちがおもいっきり揶揄されている。前に一度だけ日本文学の研究発表を聴いたことがあるけど、使われている言葉の統計発表みたいで、文脈をちっとも読もうとしないのに驚いてしまった。

恋でも友情でも逢うタイミングというのがある。本でも同じこと。

わたしが神谷美恵子の書いたものに支えてもらったような気がしたのは、母のことや性格に合わない大学に苦しんでいた20代の、いちばん精神的にきつかった時期だ。そのころは「若き日の日記」(みすず書房の著作集補巻1。角川文庫にも抄録あり)に共感を覚えていた。今は40代になって精神科医として社会的な活動を始めたころに興味が向く。もっともわたしに神谷美恵子を教えたのは母なので、皮肉でもあるが。

あとひとつは、亡くなってすぐよりもすこし経ってからの方が、本人が生きていた時代が見えてくるというのがある。1965年生まれで現在40代初めの者が書くことにも、何か意味があるだろう。神谷美恵子が亡くなったのは1979年である。コンピューターはあったがインターネットの到来は見えていなかった時代だ。

最後にもうひとつ。ふだんちっとも意識してないけど(笑)同性なので。

20世紀は時代の移り変わりが激しかったし、国際情勢も頭に入れなきゃいけない。
日本は社会情勢が二転三転どころか四転五転(笑)しているので、本人の感覚をつかむのがすごくむつかしい。
全くかけ離れた平安時代の清少納言の伝記でも書く方がよほど楽じゃないかと思う(笑)。興味を持った以上はやるしかないですけど。

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