2007/8/21 火曜日

何のために人目にさらす文章を書くか

Filed under: 日記,散文・文章 — ぱぐ @ 9:57:56

というのは、大学ノートに一日数ページ、書いても書いてもまだ書き足りない感じがしていた20代のころから、ときどき思うことだった。

それは日記だったので、人にすぐ見せるものではないが、でもあとから読む人のことは意識しているわけですね。直後、あるいは一週間経ってから、読み返して文章に手を入れるということもやったので、自分がまず最初の読者だったけど。

書くわたしと読むわたしが自在に出たり入ったりしている感じで、いいのかこれで?と思ったけど、そんな風にしか書けなかった。

対外的に文章を発表するというのは学校のレポートとか、勤め人だったときの担当の統計資料のまとめくらいで、実はあまり書いたことがありません。

そういえば卓球部の部誌があったなあ。高2から中1まで部員でまわしていくんだけど、何を書いていたんだか。一年上でもすごく年上に感じていたころだから、硬い文章になっていたかも。

あと週番日誌は、やったことの報告のほかに、人間観察をしていた気がする。中1の時の担任だったK先生(英語)はそういうへんな文章でも丁寧に読んでくれて赤ペンで何かひと言書いてあった。小学校の時は転入生という意識がどこかいつもありましたが、あれで中高の最初のイメージがよくなって、あとあとつらいことがあったときも気持ちの支えになった気がする。

読書は好きで文学畑に進んだけど、小説を書こうという気は、ありませんでした。ひとつは架空のことをもっともらしい実感でもって書くということがどうしてもできないからかもしれません。

エッセイみたいなものはわりと好きだったと思います。勤め先の人間関係のあれこれを考えていたときは、あ、枕草子みたいだとか思っていた(紫式部日記のような書き方にはならなかった)。

今は残っていませんが初めて意識して書いた文章は、アンネの日記をまねして「キティ様」で始まる手紙形式の日記。小学5年か6年くらいだったと思う。そのころ初恋を経験して、相手にも同級生にも言ったことはなかったのだけど、<今日はこんなことを話した><相思相愛だと信じているけど、どうなんだろう>とか(笑)、今思えばかわいいものです。

さて、何を言いたいのかわからなくなってきましたが、自分のサイトを作るときに文章を人目にさらす、というのは意識した気がする。型が決まっているわけじゃありませんから、よし好きなように書けるぞ、と思ったけど、どうも説明ばかりになって、すらすら書けませんでした。

この8月、例によって休眠状態を経て、いま、爆発的に書いているわけですが、やっと思ったように書けるようになった気がする。

コメントが欲しいとかメールでつっこみおくれ、とか思わないでもないけど(励みはほしいみたいだ)、書きたいように書いて、一人か二人、具体的な読者の顔が浮かべば、それでいいや、という気になりました。

#コメントできないというメールをいただいたので、ちょっと設定を変えました。いかがでせう? まだできないようでしたらメールください。

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