Lさんにメールを送ったら電話をくれて、表参道にある河合楽器でのロシアン・ピアノスクール in 東京に同行することになった。
最近はたまに池袋のジュンク堂書店に行くくらいで、あとは近所で散歩か買い物くらいしか外出してないので、久しぶりの都会行き。
表参道ヒルズの斜め向かいに河合楽器のビルがあり、そこの3階がレッスン会場である。シリーズでやっていて今日はその何日か目。
先生はロシア人のパーヴェル・ネルセシヤン。わたしには未知の人だが、リンク先によると「作曲家の意図を正確に表現できる」ピアニストとのことで、なるほど、そういうレッスンでありました。
生徒は日本人の女性。プロの卵くらいの人だと思う。
1時間ずつ3人の生徒にレッスンしたのですが、わたしたちは2番目まで聴きました。
1曲目:フォーレ 主題による変奏曲 嬰ハ短調 作品73
2曲目:ショパンの幻想曲 ヘ短調 作品49
(「雪の降る街を」そのままの主旋律だったが、あれからいただいたのかな→その通り。作曲:中田喜直)
まず生徒が弾き、ネルセシアン氏が全体の講評を述べ(ロシア語、通訳付き)、個々の注意点に移ってゆく。
曲や生徒の演奏のイメージを具体的に言うところがおもしろかった。
*コース料理が、オードブルからデザートまでいっぺんに重なって出てきて、さらにお茶も掛けてしまった感じ(生徒の演奏を評して)
*幻想曲の最初の部分は、ポーランドが当時ロシアの支配下にあったことと関係があるのではないか。ショパンは祖国に帰れず、幼いころの思い出を置いてこなければならなかった。そういう歴史も知ってください。
というのが印象に残っています。
ショパンを弾けるというだけでもかなりの技術だけど、技術だけでは芸術にはならないということでしょうかね。技術にこめる表現力が必要というのは絵でも詩でも同じだと思う。
ジェフェリー・アーチャーの『ケインとアベル』『ロスノフスキ家の娘』(新潮文庫、いずれも上・下)に、ロシア占領下のポーランド出身のアベルが出てきます。長いけど小説でおもしろく読めるからおすすめ。
幻想曲は悲哀ではじまり、強い情熱、と続くのだが、その最初のところがいちばん難しそうだった。
……とえらそうに書いてますが、わたしは幼稚園の時から二十歳くらいまでピアノを習って、いちおうショパンのワルツまで行きました。ただし、ワルツは行進曲みたいになってしまって(苦笑)、我ながらどうにもならない演奏だった。耳だけは肥えてるので。
ピアノは両親の意志で始めたのだけど、反抗期にはその強制的な態度に嫌気がさし、たびたびさぼっていました。最後の先生は母校の10年先輩でもある人だが、あきれていたと思う。
計5人の先生に習ったが、今思うとレベルの高い先生たちだったと思う。最初の先生は松江在住で、大きくなってから旅行の際に再会した。
やめて以来、いっさいピアノにさわらなくなり、CDで聴くのもちょっとつらい時期がありました。
家人も子どものころからピアノを習っていて、絶対音感ではかなわない。モーツァルトの1フレーズを聴いて、ぴたりと長調短調が言えるのだから。今はバンドでキーボードを弾いていますが、クラシックで好きなのはドビュッシーだそう。
我が家の電子ピアノ、いっさいさわったことがないのですが、Lさんに「せっかくだから何か弾いてみたらいいのに」と勧められ、さすがにトラウマも克服できそうになってきたので、そのうちモーツァルトのソナチネでも弾いてみるかな。指は動くのかしらん。
実家にあるピアノ曲のレコードで愛聴していたのは、イエルク・デームスとイングリット・ヘブラーでした。デームスはかなりのお年ですが、今年も来日しています。前にコンサートに行ったとき、プログラムにサインをもらいました。