2007/1/14 日曜日

WordPressを使うことにしました

Filed under: 日記 — ぱぐ @ 23:24:38

トトロがMovable Typeより使いやすいんじゃないか、というので使ってみることにしました。前の分は移行しましたが、画像や写真は改めてアップしないといけないらしい。少しずつやりますのでお待ちください。投稿方法が前と違うので、やりながら慣れていきます。

コメント方法も前と変わりました。管理者が許可してからになります。前みたいなややこしい登録ではないらしいので、やりやすいかな?お試しください。

 さて、この一週間のこと。

*求職のこと

1.前に校正の通信教育を受けたところで、求職登録。ついでに資料も見せてもらい、候補を探し、紹介状をもらい、履歴書を送る。あさって16日に来てくださいと連絡があったので面接に行きます。これが今のところ大本命。

2.某予備校で模擬試験の採点業務(短期)の募集があったので、腕試しの試験を受けに行く。センター試験に準じた国語の問題を解く。久々の試験。これは不採用。現金を稼ぎたかったんだけど、残念。

3.某派遣会社に登録に行く。わりと近くの会社の募集があったので問い合わせたところ、登録しに来ませんか、と言われたので。派遣は初めて。公益法人に勤めていたときに派遣の人と仕事をしたことはあったし、違う部署に来ていた人とは今でも仲良くしている。募集のところはワード・エクセルがかなり使えないとだめだということがわかり、違う部署でそこまで技術がなくてもだいじょうぶという仕事があったんだけど、1月末までにほかの面接が入る可能性があるので、登録だけにしておく。資格・技術を書く欄があり、取っておくものかな、と思う。

4.某美術館のスタッフ募集に応じ、書類を送付。これもかなりの本命だが、競争が厳しそうだからどうだろう。

*13日は横浜に行った。ほんとうはLさんと同行する予定だったんだけど、同じ日の学校の用事が一日中あるというので、一人で。例によってハマチャリを借り、赤レンガ倉庫でクレープセットをお昼に食べてから、港の見える丘公園の神奈川県立近代文学館へ。

「露伴、茂吉、寅彦と小林勇展」を観るためである。小林勇のことは前にも書いたことがあるけど、岩波書店が岩波茂雄の個人経営だったころに小僧さんとして入社し、編集者として活躍。茂雄亡き後は経営の方にも携わり、肩書きとしては専務、会長。岩波映画の創立者でもある。絵の展覧会は何度もやっているけど、編集者としての展示は初めてだそう。幸田露伴、斎藤茂吉、寺田寅彦は特に親交があった著者。

幸田文の手紙の字の流麗なことに衝撃を受ける。たしか習字のことは苦手と書いていたけど、どうしてどうして立派なもの。その代わりそのままでは内容がわたしには読めない(泣)。露伴と茂吉の書は観たことがあって、茂吉は歌はきらいだが書は好きだ。露伴が文の婚家(酒問屋、のちに離婚)のために書いた、「酒」という字の歴史一覧がおもしろかった。

小林が茂雄の娘と結婚したときの媒酌人であり、その他いろいろ親交のあった野上弥生子の手紙もおもしろかった。「小僧上がりの僕、というのは自慢ですか、卑下ですか。あなたの小僧上がり、というのを応援しているのだから、卑下はおよしなさい」という意味の手紙が印象に残った。弥生子も亭主や子どもは学者だけど本人は独学の人だから、共感するところがあったんだろう。

見終わってから、小林の長女と話す。わたしの母と同じくらいの年齢で、小林の強気、はっきりした物言いはこの人によく受け継がれているみたいだ。小林の郷里である信州伊那の赤穂(あかほ)というところで絵の展覧会があったときに、ちょっと話したことがあったのでその後、案内状をもらっている。編集者としての展覧会は一度やりたかったとのこと。絵はまあ、いいのもあるけど素人だからね。展示にあった、シャケの絵がよかった。初代吉右衛門(今の吉右衛門の祖父)からもらった新巻鮭を食べながら描いたもので、最後は骨になっちゃうんだけど、シャケの感じがよく出ている。

外人墓地をちょっと眺め、ハマチャリを返してから元町をぶらぶらする。 キタムラの店がやたらと多いので驚く。かばんのほかにグッズとか細分化してるんだな。

前にモーツァルト協会で、モーツァルトの肖像画がついたユーロ硬貨をもらった。ネックレスにしたいと思いながらお金がなかったしどこに頼めばいいのかよくわからなかったので、お財布の中に大事にしまいっぱなしになってたんだけど、銀細工の店で相談したら、案外安く、鐶をつけられることがわかったので、銀のチェーンも購入して作ってもらうことにする。

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