2014/1/22 水曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(4)

集いの概要について(敬称略)。

13:20 会場、14:00開演 場所は岡山県岡山市の岡山市民会館大ホール。
一般で応募当選したのが1500名(同行者二名まで)、他に招待者もあった。1600名くらい集まったらしい。

14:00~15:00 講演「人生の生き方の選択」
聖路加国際メディカルセンター理事長・笹川記念保険協力財団名誉会長 日野原重明
(ぱぐ注:日野原氏は内科医。循環器、つまり心臓・血管などが専門)

15:00~15:40 鼎談(ぱぐ注:ていだん。三人で話をすること)「神谷美恵子を語る~医師として、母として~」
順天堂大学教授 樋野興夫(ひの・おきお)、長島愛生園入所者 石田雅男、神谷美恵子次男・リコーダー奏者 神谷徹

15分の休憩を挟んで
15:55~16:40 コンサート「バロック音楽のひととき」
演奏:テレマン・アンサンブル 指揮:延原武春 独奏:神谷徹/リコーダー 出口かよ子/フルート・リコーダー 浅井咲乃/ヴァイオリン

2014/1/15 水曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(3)

Filed under: 神谷美恵子,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 21:40:02

すみません、なんと3回目の前置きです。

アメリカ留学中もいろいろ迷いがあって時間が掛かっていますが、医学に転校することを決め(父前田多門の許可を得るまで時間が掛かった)、アメリカで少し医学を学んだあと、太平洋戦争前に帰国し、東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)に編入、日本の医師の資格を得ます。

ハンセン病のために働きたい、という希望があり在学中の昭和18=1943年に岡山県にある長島愛生園というハンセン病療養所に見学に行っています。
ただ家族の反対などもあり、専攻を精神医学にすることに決め、東京帝国大学医学部の精神医学教室に入りました。当時は戦争末期で男性医師は出征している者が多く、医師の数が足りず空襲もあったりしてたいへんだったそうです。

戦後は父前田多門が文部科学大臣に任命されたので、当時の駐留軍GHQ(アメリカ軍)との交渉のために語学の手伝いをしています。六三三制などがこのときできています。前田多門辞任後も次の大臣、安倍能成(哲学者、夏目漱石の弟子の一人)に請われて引き続き文部科学省勤務。

そのあと生物学者の神谷宣郎(かみや・のぶろう、1913-1999)と結婚、当時宣郎氏は東京大学の講師でしたが後に大阪大学理学部の教授になったので、美恵子も一緒に関西住まいとなる。

まだ紆余曲折がありますが、長島愛生園に勤務することができるようになったのは昭和32=1957年、43歳の時です。まず非常勤職員として週末を中心に神戸市の自宅から5時間余り電車と船を乗り継いでの勤務でした。
精神科の医師として治療を行いながら面接やアンケートで調査を実施。このとき、まだハンセン病療養所では国の政策として「絶対隔離」が行われていたので、家族や郷里と切り離されてここに入った人が多い。年少のころの入所だと、その当時はよくわからなくてあとでなってから事情を知るという人もいたはずです。

美恵子自身も若いころに自分が将来どうしたらいいのか、という悩みを抱えていたこともあって「生きることの意味、生きがい」を探していたところがあったのですが、患者さんたちの話を聞いているうちに「生きがい」についてさらに深く考えるようになりました。これは後に『生きがいについて』(みすず書房、1966)という著書にまとめられます。
美恵子は西洋哲学の影響をかなり受けたので、そちらの考え方が強くなかなか手強い本ですが、興味のある方はどうぞ。

さてそろそろ「記念の集い」のレポートに入ります。おいおい注釈を挟みますので、神谷美恵子の経歴よりも考え方、何をしようとしていたか、ということにご注目ください。

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(2)

Filed under: 神谷美恵子,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 21:38:48

前置きが長くてすみません。
まだ神谷美恵子(当時は前田美恵子、以下美恵子と書きます。敬称略)がハンセン病に初めて出逢ったところの話でした。十九歳の時です。
(1)の記事のハンセン病に関する社会的政治的な変動については、このあともずっと関係しますので頭に入れて置いてください。

若いころに大きなショックを受けるとその反動といったようなことが起こるのは誰しもあることだと思うのですが、美恵子はここでこの人たちのために働くことはできないか、と考え始めます。「病気」ではなく「病気になった人たち」のために、というところが大事なポイントです。

その後、自身が結核にかかっていったん治癒したものの(結核もまだ有効な治療薬が発見されていなく、静かな空気のきれいなところで過ごすのが当時の療養スタイル)、また再発するということがありました。ハンセン病と結核はすぐに死亡につながりにくい、というところに共通点があります。病んでいることが自分でよくわかり、ゆっくりと死に向かっていく、というのが現在の死因第一位のがんと違うところだと思います。

結核の治癒が認められたのが23歳。当時だと女性は結婚年齢が早めですからやや過ぎています。当時の家事は電化製品がないころで手作業が多い。疲れるのはまた再発のおそれもあるので主治医からは5年間は結婚するのはむずかしいい、という忠告を受けています。
津田塾では将来を嘱望されていてアメリカ留学を勧められた(創設者津田梅子1864-1929は7歳で最初の女子留学生の一人として渡米。帰国後華族女学校で教えるが再度留学後、津田塾を開いた)。

経歴だけ追っていっても神谷美恵子自身を知ることにはならないと思うので、人となりをわたしなりにまとめながら書いていますが、改めてむずかしいなあと思います。
もう一回、前置きを挟みます。よろしくおつきあいください。

2014/1/14 火曜日

2014.1.11「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」@岡山市民会館(1)

Filed under: 神谷美恵子,読書,日記,旅行,散文・文章 — ぱぐ @ 20:30:27

昨年12月30日の記事にも書いたけれど、上記の集いに行ってきた。

神谷美恵子って何者?と思う人が多いと思うので、簡単に生涯を紹介しておく。
かなり複雑な経歴なので簡単にならないかもしれませんが(^^;)。
年齢について詳しく書いているのは、成長段階で受けた影響を考慮するためです。頭に入れながらお読みください。
確認しながら書いていますが、間違いがあったらわたしの責任です。

【神谷美恵子】(かみや・みえこ 大正3=1914-昭和54=1979)
昭和54=1914年1月12日、内務官僚の父前田多門(まえだ・たもん、1884-1962)と母房子(旧姓金沢、1895-1955)の間の第二子として岡山市に生まれる。
内務官僚というのは今の内閣府・警察などを含むかなり幅の広い仕事を日本国内全部で扱うので、転勤が多い。また前田多門は有能な人で単なる役人以外の仕事も多くこなしている。この辺、美恵子への影響多し。
兄・陽一(のちフランス文学者、パスカルの「パンセ」を研究)とは三歳違い、二男三女の長女。順番は兄→美恵子→二女→三女→次男。
父の転勤が多く、それによって引っ越し・転校が多い。

九歳の時、父が国際労働機関(ILO)の日本政府代表としてスイス・ジュネーブに赴任するのに従い、一家で移り住む。
美恵子はジャン・ジャック・ルソー教育研究所の附属小学校に編入。少人数でいろいろな国の年齢もいろいろな子どもたちと共に学ぶ。
日本ではのびのびした公立の小学校から厳格なカソリックの小学校(聖心学院)に親の意向で転校したため、なじめなかった。
スイスの学校に大いになじみ、フランス語で考えるのがいちばん楽になったという。

十一歳の時、各国代表の子弟のために設立されたジュネーブ国際学校中等部に入学。
地理学が専攻で年配になってから年少者に教える楽しみのために赴任したフランス人のデュプイ先生の影響を受ける。

十二歳で父の仕事のため帰国。
帰国子女であり、言葉の問題もあって、帰国後に入学した私立学校(自由学園)では登校拒否を起こす(頑固な一面があることに注目)。
別の私立学校の女学校(成城高等女学校)に編入、こちらでは独学が奨励されたので合っていたという。
十二三歳ごろから「書くこと」に関心を持ち始める。

その後津田塾に学ぶが英語英文学にはそれほど関心がなかったという。
兄と共に放課後アテネ・フランセに通い、フランス語の勉強を続ける。
スイスにいたことで欧米語の語感が身に付いたためだろう、フランス語・英語・ドイツ語がかなりでき、後に古典ギリシャ語も独学で身につけている。

女学校にいたころから津田塾在学中に掛けて個人的な悩みがあり、自分の行く末に迷いがあった(この辺、どのくらいふれていいのかわかりませんが、大事なところだと思うので書いておきます)。
近しい人を亡くし大きなショックを受けたところで無教会主義キリスト教(内村鑑三などが中心となったキリスト教の信者の集まり。教会で神父<カソリック>や牧師<プロテスタント>の話を聞くのではなく、聖書を読むことで信仰を深めようとする)伝道師だった叔父(母の末弟)に頼まれてハンセン病療養所多摩全生園(現在の国立療養所多摩全生園、東京都東村山市)にオルガン弾きに付いて行く。十九歳の時、1933(昭和八)年。

ハンセン病は現在は薬で治る病気だが、当時はまだ薬が開発されていなかった。感染力は弱い。早期に適切な治療が受けられないと後遺症が残ってしまう。回復した人から感染することはない。

日本の場合は明治以降、近代化政策の中でハンセン病患者について強制隔離政策が長く採られ、昭和20年代以降、特効薬によって完治するようになってもそのまま隔離政策が採られ続けた。
1907(明治40)年に制定された「らい予防法」が廃止されたのは1996(平成8)年のことである。
国家賠償請求の裁判で原告が勝訴し「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」が発表されたのが2001(平成13)年。小泉純一郎首相。

神谷美恵子がどうハンセン病とその病気にかかった人たちと向き合ったか、というのは単なる病気の問題ではなく、政治や社会状況の変化といったことも考慮しなければならないのでむずかしい。

2014/1/5 日曜日

最近作った短歌を記録のため再録

明けましておめでとうございます。
各記事からのツイッターと、全部の記事にコメントが付けられるよう、家人が設定してくれましたので、よろしくお願いします。
コメントは承認制です。詳しくはこちら

歌会始の詠進歌(お題「静」)は1月15日以降にお披露目することとして、そのほかの歌を記録のために再録しておきます。

12月1日
やむごとなき名言ぼっとさん主催の第三回やむごとなき杯記念歌会に寄せて。
全体はこんな感じ→http://togetter.com/li/597586 (ツイッターやってなくても読めます)

しんがりは進むも引くも地獄なり歳三曰くお先に逝くぜ
 #やむごとなき03a

やられてもまた立ち上がる背中あり戦ふ君に惚れてまうやろ  #やむごとなき03b

拾ひてし光るものをば見てみれば飴玉ならぬ銀玉である。  #やむごとなき03c

12月12日
2013年の漢字「輪」で即興にて詠める
<輪投げする子等の姿を見ておればソチの来る日の待ち遠しさよ>

12月24日
繰り返し林檎を愛でるスダチかなまずは一杯すっきりすたすた(意味不明クリスマス折句)
*折句=物の名を、句のおのおの頭の字に一つずつ詠み入れたもの

すばしりの真裏に立ちてすすり泣く理屈は要らぬ釘付けの夜(意味不明裏返しクリスマス折句)
*クリスマスの裏返し=すますりく

隊長さん( @taicho_u )に贈るクリスマスプレゼント、ヤマハ発動機の五郎丸歩選手を詠める
<首かしげ蹴りに行く五郎丸なり一、二、三、とステップを踏む>

2013/12/30 月曜日

「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」に向けて

こんばんは。年度末の夜をいかがお過ごしでしょうか。

わたしは新年早々1月11日に「神谷美恵子生誕100年 記念の集い」というのが岡山市で行われるのに参加できることになりました。
神谷さんが来年で生誕100年というのは気がつかなかったのですが、65歳でお亡くなりになったのが1979年10月12日、わたしが中学二年の時です。当時は神谷さんのことは何も知らず、卓球と読書に精を出していて、司馬遼太郎の『燃えよ剣』(新潮文庫)にはまったのがこの年ではないかと思います。

神谷さんのことを知ったのはたしか二十歳前後のことで、母が追悼特集の「みすず」を見せてくれたのだった思います。その時は、
(こういう、いい顔をした女の人ってどういう育ちをしたのかな)
と思ったのですが、その後数年の内に大枚はたいてみすず書房から出ていた著作集を全部買って、精神医学とかミッシェル・フーコーなどは全然ワケのわからないまま一応全部読んでみました(いまでもそっちの方は誰かにレクチャーしてもらわないと理解できません)。

その後、いろいろなことがありましたが、なんとかして自分が感じる神谷さんを文章としてまとめてみたい、という気持ちは著作集を読み始めたころから変わっていません。30年弱になるのかな(!)。
今度の岡山行きで、ひとつ何か感じてきたいと思っています。本を読んでるだけではわからないことが現地ではあるはずので。
そちらは、またこのブログに何か書きたいと思います。

休み休みの更新なので、こちらを続けて読んでださる方がいらっしゃるのかよくわかりませんが、みなさま、よいお年をお迎えください。

*コメントを受け付けない設定になっちゃってますが、できるようにあとで家人に直してもらいます。しばらくお待ちくださいませ。

2013/12/25 水曜日

敬虔な気持ちで迎えた誕生日

おはようございます。
きのうはクリスマスイブでしたが、どんな風にお過ごしになりましたか。

わたしは本来は1月生まれの筈だったのですが(予定日は確かめていない)、ちょっと出血があったとかいうことで母が早めに入院して12月25日にこの世に出てきております。母はなかなか麻酔から覚めず、時間が掛かったらしいです。

12月25日だと、クリスマスとセットになって全世界的にお祝いしてくれる感じだし(笑)、みんなに覚えてもらいやすい日なのでお得です。子どものころはクリスマスと誕生日がセットで、おばあちゃんち(母方の)でどどーんと大きなケーキでお祝いしてもらった記憶があります。

物心ついた時から本好きだったので、たいてい本をもらったんじゃないかなー。小学三年の時自転車に乗っていて交通事故に遭って家で療養した時もお見舞いは本が多かったですね。

日付が変わってからになりますけど、今晩は水野倫之NHK解説委員の時論公論(0:10~0:20)がありますので、それを誕生日プレゼントと思うことにします。
内容は深刻なものでずっと気になっていることですが、水野さんはずっとスタンスを変えていないしこれからも解説は聞いていきたいと思いますので。

追記2013.12.30:ツイッターの方ではこんな感じで祝っていただきました(ツイッターやってなくても読めます)。みなさんありがとうございます♪→http://togetter.com/li/607160

2013/12/1 日曜日

小林誠さん・益川敏英さんの講演会@多摩六都科学館(1)

昨日、西東京市の多摩六都科学館で行われた講演会に行ってきた。

ご存じの方も多いと思うけれど、お二人は2008年のノーベル物理学賞を南部陽一郎氏と共に受けられた。
現在はなかなか顔を合わせることが少ないそうで、昨日は3年ぶりの再会だったという。

多摩六都科学館は小平・東村山・清瀬・東久留米・西東京という東京多摩北部の五市が共同で運営している科学博物館である。田無市と保谷市が合併して西東京市となり現在は5つの市の共同運営。
昨年リニューアルされたプラネタリウムは「最も先進的なプラネタリウム」としてギネスブックに認定された。生解説が毎日聴けるのが自慢なので、星とか宇宙に関心のある方は是非どうぞ。

今回は小林・益川ノーベル賞受賞5周年、多摩六都科学館創立20周年ということで企画されたもの。
2004年から館長を務める高柳雄一氏は、元NHKの解説委員で、科学系の番組の制作に携わった。現在もラジオ第一の夏休み子ども科学電話相談の回答者を務めている(担当は科学一般)。

ついでに書くと、この夏休み科学電話相談は今年で30周年。残念ながらわたしは質問する年齢をオーバーしてから聴くようになったのだが、中学生までの子どもの質問に専門家がいかにわかりやすく答えるか、というのは仕事の上で参考になるし、大人の科学の勉強にもなります(笑)。

2013/11/14 木曜日

風通しの良い言葉の使い方のために―丸谷才一さんのこと

下記のブログ記事は、文章として書き上がらないまま下書きのファイルに放り込んでいたのですが、1年経って全集が刊行開始(文藝春秋)されたことですし、これから丸谷才一を読む人の何か参考になるかもと思って、さらすことにします。メモのままで申し訳ありません。
なお、全集刊行開始を期に新しいツイッターまとめ「丸谷才一全集(文藝春秋、全12巻)刊行開始に際して考えたこと」)を作りましたので、そちらも合わせてどうぞ。随時更新中です。
ツイッターもこのブログに設置したいのですが、家人に頼まないとできないので、もうしばらくお待ちください。(2013.11.14記)

☆★☆★☆
先週土曜日、13日の早朝に作家の丸谷才一さんが亡くなった。享年87歳。

その知らせを聞いて、わたしが思ったことなどは、ツイッターで書いてあとでまとめた「作家・丸谷才一氏逝去報を受けて(平成24年=2012年10月13日)」ので、そちらを見ていただきたいのですが、ブログでは、文章としてまとめて書いてみようと思います。
(ツイッターのまとめは、ご自分がやってなくても読めます)

小説を書くための勉強をしようと思って英文科に進んだこと。
仕掛けのある小説
文明から見た文学評論
ジェイムス・ジョイスなどの翻訳を通じて、小説の書き方を学んだ。
若いころに取り寄せて読んだ英国の書評に感心して、日本での書評文化に貢献したこと(主に週刊朝日と毎日新聞)
ジャーナリズムについての合評会を雑誌「東京人」に連載したこと。
新古今和歌集から日本の古典を読み始めたこと。
万葉集よりも、古今和歌集から続く勅撰和歌集を、編集という面からも、日本の詩歌の最高峰としても再評価したこと。
『新々百人一首』(新潮社)に勅撰和歌集からの粋を集め、歌の読みについて文章の芸を尽くして書いたこと。
連歌への興味。最後は詩人(大岡信=まこと)、歌人(岡野弘彦)、小説家(丸谷才一)という3人で編んでいた。
エッセイの名手
挨拶についての本を、自身のスピーチ集という形で3冊の本にまとめたこと。

わたしが中学高校だった30年くらい前は、小林秀雄が「日本に批評を切り開いた第一人者」としての声望が高かった。父の本棚に『考へるヒント』という本があったので読んでみたけれど、自分の頭で考えるためのヒントにはなりにくかった。小林秀雄の批評は、何かをダシにして自分の言いたいことを書き付ける、という感じのもので、よく試験問題にも出た気がするけれど、元の文章がよくない上に、小林秀雄かぶれ(?)みたいな元文学青年・少女が問題を作ると、何が書いてあるのか、更にわかりにくくなるのであった。

丸谷才一などは、そのあとに出てきた世代なので、きっとああいう風通しの悪い文章への反発があったのだろう。
いろんなことを手掛けたけれど、その底には「風通しの良い言葉の使い方」を、読者への敬意を持って心掛けていたような気がする。
(2012.10月記す)
☆★☆★☆

2013/10/31 木曜日

神保町古本まつりで買った本と口腹の楽しみ

ご無沙汰しております。
1年振りのブログ更新です。
丸谷才一さんが昨年10月に亡くなった時に文章を書いたのが下書きのまま保存してありました。

本日神保町古本まつりに行ってきましたので、買った本と飲み食いしたものについて。
お茶の水方面から神保町の交差点に向かって歩くのが、わたしのいつものコースです。

文庫川村。
  塩野七生『わが友マキアヴェッリ』(中公文庫、1992)
   同じ著者の『ローマ人の物語』は通して読んだはずですが、手元の文庫本はまだそろってない。
  石川淳『文學大概』(中公文庫、1976)
   文章について書かれているので購入。たぶん一度図書館で借りている。

三茶書房と、三省堂古書館(いろんな古本屋が自分のところの棚を持っています)はじっくり眺めましたが購入はなし。
でもこんな本があるんだ、というのもいいのです。

三省堂書店地下の放心亭がいつも気になっていたのだが、遂に入る。
ドイツ料理の店、ジャーマンセルフサンドは黒い食パンにタルタルソースが挟んである。ピクルス・スライス玉葱などの付け合わせ。うまい。あとランチビール(相変わらず量は呑めませんが、グラスならビールも可)。

八木書店。
 川村湊『狼疾正伝 中島敦の文学と生涯』(ろうしつしょうでん、河出書房新社、2009)
  中島敦生誕100年だった2009年は関連本がいくつか出たのですが、その一つ。
  前に図書館で借りたけど、もう一度読みたくて。ほんとうは全集もほしい。
 八木書店は一階が近現代、二階が古典の日本文学の専門古書店で、古典関係は出版もしています。
 かつて国文科の古典専攻だったので、神保町に行く時は必ず寄る。

このあとの記憶はいまいち。
村山書店は講談社学術文庫がそろっているのでチェックすることにしていますが、小西甚一の『中世の文藝』はなかった。同文庫の大岡信『詩歌ことはじめ』を購入。

小宮山書店。
 柳沼重剛『語学者の散歩道』(岩波現代文庫、2008)
  著者は西洋古典学者。
  学者が書いた一般向けのエッセイが好きで、ぱらぱらっと読んで文章が好きな感じだったら読みます。

 河野純一『ハプスブルク三都物語』(中公新書、2009)
  ハプスブルクとモーツァルトに関係のある本はけっこう読んでます。
  建築物いろいろとモーツァルト・シュトラウスなどについて書いてあってカラー口絵付き、楽しめそう。

 内田樹『街場のメディア論』(光文社新書、2010)
  内田さんの書くものはブログ・ツイッター、本もいろいろ読んでますが、たくさんあるのでなかなか追いつけない。
  わたしは中学生のころからおぢさん的思考が強いと思うのですが、メインの流れは司馬遼太郎→丸谷才一→内田樹です。
  最寄りの駅に着くまでに読み終わった。

あともう一冊、中野好夫『伝記文学の面白さ』(岩波書店同時代ライブラリー、1995)はどこで買ったのかな?
中野さんの『蘆花徳富健次郎』(筑摩書房、1972-74)はだいぶ前にこの古本市でまとめ買いしましたが、そのまま積読だ。

小宮山書店のあたりでくたびれてしまい、近くの伯剌西爾(ぶらじる)という珈琲店に入りました。お店特製コーヒーゼリーが量がたっぷりで美味♪

北沢ビル1階の児童書専門BOOKHOUSE。
 「ぐりとぐらカレンダー2014」(福音館書店)
  子どもの時から大好きな絵本の一つ。いろんなグッズがありますね。
 安野光雅『旅の絵本Ⅷ』(福音館書店、2013)
  待望の日本編。英国好きなのでⅢは手元にあります。

一誠堂書店で
小西甚一の『日本文藝史』(講談社、別巻は笠間書院)はありますか?」
と訊いたら、八木書店、日本書房、西秋書店という日本文学専門のところか、案内所で検索をしてみるように勧められる。大部だし相当な良いお値段だと思っていつも気になりながら店頭にあるかないかを気にしているのですが、検索を掛けたら全部そろいで48,000円(西秋)、68000円(日本)と到底いまのわたしでは手の出せない金額だったので、メモだけしてのぞきにも行きませんでした……(泣)。

最後に東京堂書店に寄り、『丸谷才一全集』(文藝春秋、全十二巻)の第一回配本第五巻<小説「女ざかり」ほか>を確認しました。丸谷さんの本、刊行されたものはほとんど読んでいるはずですが、『日本文藝史』の前にこちらが優先ですね。その分節約しないと……!
先日、全集刊行記念講演が神奈川近代文学館であったのですが、台風来襲の日だったし他の用事を優先してあきらめたのでした。どこかでまとめて講演の内容が読めるといいな。

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